終章 Scene.04 -「煙幕背影」

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▼オリジナル小説

――管制室。

 暗い空間に、機械の律動が細く響いていた。
 無数のモニターは黒い鏡のまま沈黙し、排熱だけがわずかに空気を震わせている。
 空調の低い唸りに混じり、小さな羽音が壁際をすり抜けた。
 それは虫の音にすぎないはずなのに、耳の奥で機械仕掛けの残響のように響く。
 Mr.Xは視線を動かさない。黄金のジッポを弄ぶ指先が、一瞬だけ止まる。  ――儀式の合図。
 火が灯され、青白い光が横顔を照らす。刻まれた皺は影となり、感情は完全に削ぎ落とされていた。
 湿った鉄の匂い。
 闇を裂くように小さな影が光にかすめ、すぐに呑まれる。虫か、それとも別の装置か。確かめる者はいない。
 ジッポの蓋が乾いた音を響かせる。
 火は煙草へ移され、紫煙が渦を描きながら天井へ昇った。
 漂う煙は、記録の層を一枚ずつ重ねるように空気へ溶け込む。

 「……開始だ」

 Mr.Xは灰皿の位置を指先で確かめ、視線を落とすことなくダイヤルを一段倒した。


【>κ2c!cn{11#z—Ω…】

 ――旧下水路に接続する地下市場跡。崩れ落ちた柱の陰で、クロウズネストの隊士が赤い信号灯を三度振る。分散退避の合図だ。泥に沈んだ黒旗が、かつての誇りを汚れた布切れへと変えている。荷車に積まれるのは医薬品ではなく、包帯の空箱ばかり。
 振り返った若い兵士の頬には、泥か涙か判別のつかない筋が光っていた。肩を貸し合う二人の影に、黒い小さな羽音がまとわりつく。払いのけても、すぐ別の影が舞い降りてくる。
 誰も口を開かない。沈黙だけが退路に広がっていた。
 兵は誰も声を上げない。ただ互いの肩を叩き、泥に足を取られながら闇へ散っていった。振り返った者の頬には、泥か涙か判別のつかぬ筋が光る。
 追撃はない。いや、追う余力も、追われる覚悟も残っていなかった。

【<λ7f//cn+8dT§=…】

 Mr.Xは煙をゆっくり吐き、視線を滑らせる。

 ――敗北者同盟の自治機構、完全に瓦解。指揮系統は形骸化し、残存兵力は三割以下に減衰。
 港湾区は焦土と化し、補給路も断絶。食料供給は自転車操業、医療資源は枯渇。
 秩序の維持は感傷的な結束に依存しており、実効性は皆無。
 AIによる均衡管理を導入したドーム都市群と比較すれば、あまりに原始的かつ不安定な共同体構造。
 自治という名の幻想にすがる姿は、むしろ“無秩序の象徴”として教材に適す。

 市民広報部への提示:《敗北者は灯を繋ぐ》という一節を抽出し、映像素材として編集。
 感傷を装いながらも、管理なき自由がもたらす崩壊の末路として流用可能。
 評価タグ:〈自治失敗/戦力無力化/映像利用適〉


【>Δx9!ap{07§k-…】

 ――砂漠縁の集落跡。半円に並んだ焚き火は白灰となり、風に吹かれて散っていた。アッシュポイントの戦士たちが円陣をほどき、互いの肩を小突き合いながら詰問を繰り返す。頭領の名は呼ばれるが、返答は戻らない。若い戦士が拳を上げ、叫びかけた瞬間、年長の手がその拳を掴み、静かな罵声が火種のように広がった。
 拳を掴んだ年長の戦士の手は震えていた。怒りではなく、恐怖に支配されている震えだった。焚き火の灰が風に舞い、肩や髪に降り積もる。
 その灰の間を、黒い小影が横切り、耳障りな羽音を響かせた。
 誰もそれに気を留めない。だが、記録には確かに刻まれていた。火の残滓に誘われるように、黒い小影が幾筋も揺れ、羽音が円陣の隙間を縫った。
 怒りも悲嘆も、すでに行き場を失っていた。

【<µ3p//ap+0rX§=…】

 Mr.Xの声が低く響く。

 ――王の死で統率は崩壊。群れは分裂し、薬害により戦力は壊滅的。
 新たに継承者を名乗る者が現れたが、影響力は局地的であり、軍事的脅威には至らず。
 薬に依存し、住民まで中毒に蝕まれる惨状は、人権無視の極致であり、秩序なき自由社会の末路を示す好例。
 AI統御下のドーム都市に比べれば、供給・医療・治安のすべてが劣悪。

 市民広報部への提示:『自由を求めた荒野は、自壊と毒に沈む』として編集活用可能。
 評価タグ:〈統率崩壊/薬害壊滅/対比利用適〉」


【>Ψ4g!gh{19@q-∆…】

 ――冷却塔直下の整備フロア。壁際に並ぶギアホールドのサイボーグ兵が、一斉に動きを止めた。胸郭に埋め込まれた制御灯が暗転し、人工筋肉が弛緩して座り込む。マニピュレータは外され、工具箱に投げ込まれていく。奥では鋼色の旗が巻き取られ、布の皺に吸い込まれるようにアイアンキングの紋章が消えた。動かぬ兵士の眼孔には、黒い影が一瞬止まり、すぐに飛び去った。

【<θ0r//gh+3vL§=…】

 Mr.Xは煙を吐き、低く言い放つ。

 ――改造兵は制御不能により無力化。軍事的戦力は消滅。
 住民と兵士が和解を試みているが、AI秩序なき人間同士の慰め合いにすぎない。
 配給・エネルギー管理は曖昧で、再現性もなく、ドーム都市の均衡制御と比べれば劣悪極まる。
 結果的に戦力は削がれ、脅威は大幅に低下。

 市民広報部への提示:『人の情は美談に見えても、秩序を生まない』との字幕編集を推奨。
 評価タグ:〈改造兵崩壊/戦力無効化/対比利用適〉」
 彼は灰を静かに落とし、冷徹に結論を重ねた。

「アウトサイダーズ三勢力――機能喪失。目的達成。サンプル化し、教材に転用」


【>α1a!al{22#m-…】

 ――乾いた広場。地表が縫い目のように抉れ、白い閃光の残滓が空気を分断する。アルファの制圧ログは、戦線が接触する前に情報と地形が消去される過程だけを丹念に記録していた。フレーム外で誰かが倒れる。倒れる音すら、記録には残されていない。  無線には撤退コード《カーテン・ダウン》の断片と「本命はベータ」の混線が残存。囮運用を示す言い回しだけが、風とノイズの層に貼り付いていた。

【<β5r//al+7nQ§=…】

 Mr.Xは短く火を吸い、事務的に要約する。

 ――示威映像:市民向け“安全保障”用。編集指示=『AI指揮』『最小被害』『封鎖完遂』を強調。囮運用の音声は全面カット。
 内部評価:過ぎた力/指向性破壊による副次被害リスク高。最優先監視、接触不許可を継続。
 運用結論:囮として所期の時間を確保、損耗は許容範囲。主作戦(ベータ連動)は計画通り完了。
 心理観測:現場個体に虚無化・離脱傾向。短期従属は良好だが、長期統制では逸脱の火種。
 比較:AI管理ドーム都市の均衡制御下なら、同等の封鎖はより少ない損害で達成可能――本件は対比素材として有効。
 評価タグ:〈示威適/管理要/逸脱警戒〉。露出レベル=内部極秘(Δ3)


【>γ3b!bt{28#d—…】

 ――居住区の中庭。洗濯物の列が風に揺れ、影を落とす。ベータの輪郭が老女の歩幅で横切り、次の瞬間には少年の速度で角を曲がった。医療棟裏口で白手袋が一度だけ指を鳴らす。向かいの監視カメラに“同じ背中”が二秒遅れて現れる。モニターには重なった二つの影が、不気味な残像を描き出す。

【<δ9t//bt+2kM§=…】

 Mr.Xは端末に指を滑らせ、短く告げる。

 ――暗部の保証:市民に露出させない安心。映像は“任務完遂・無感情”を強調、住民との交流や感傷的場面はすべて削除。
 作戦は読めない――監視網は粗にするな。兆候拾取を継続。

 内部評価:封鎖任務は成功、撤退も計画通り。だが、現場個体に“共感”の兆候あり。
 住民への小さな返礼、情緒的応答――逸脱因子の芽生えと記録。  情緒に依存する統制は脆弱であり、AI統御下のドーム都市の均衡制御と比較すれば劣悪。

 市民広報部への提示:『暗部は存在せず、政府の影は常に市民を守る』という演出に限定。
 評価タグ:〈封鎖完遂/感傷削除/逸脱警戒〉


【>σ8s!dm{31#y-…】

 ――瓦礫上空で仮面が静止し、掌の前で風が反転する。

【<τ2k//dm+6rW§=…】

【>φ4s!gc{37#x-…】

 ――崩落縁で岩塊の影がうねり、砕けた鉱片がひとつの刃に整列する。

【<χ1p//gc+9hE§=…】

 フレームの端を、古い携帯音楽の断片がかすめ、すぐ闇に溶けた。仮面の向こうに別の輪郭――マー・ミンファ。モニターの奥で風が震え、羽音が途切れる。Mr.Xの睫毛がひとつだけ降り、すぐに戻った。

 ――脅威宣伝の素材:スペリオルズ。幹部三名はいまだ健在、戦力は予想外の増勢を確認。
 だが内部には、共同体としての生活痕跡あり。赤子や住民の日常が記録に映り込んだ。
 これは統制不能の因子、統治理念の外にある“不純物”と判断。
 外部接触:ドミネーターとマー・ミンファの交信を確認。危険度ランク上昇、分断工作を優先。

 市民広報部への提示:市民向けには『狂気の戦闘者』『暴力共同体』として演出。
 生活や未来の象徴となる映像は削除、血と暴力のみを強調。
 比較指標:AI管理ドーム都市の安定環境に比べ、暴力と血の共同体は劣悪そのもの。
 評価タグ:〈戦力強大/未来因子潜在/分断必須〉」


 机上のスピーカーがわずかに震え、呼気のようなノイズが広がった。回線は開いているのに、声は出ない。Mr.Xは視線をモニターから離さず、口だけを動かす。

(読者に向けて、記録のように、淡々と。)

「Ω計画、失敗。所詮、人間の限界」
「ガンマチーム、疑心。全報告は極秘」
「リク・ロクジョウ、不要。抹消」

 言葉のたびに煙が揺れ、灰が崩れる。スピーカーはまだ震えていた。だが音は遮断される。聞かせないのではなく、聞かせる必要がないからだ。Mr.Xはジッポの蓋を指で弾き、乾いた金属音を小さく響かせた。

「自由は誤差。誤差は収束させる」

 重い扉が閉じる音が、管制室の闇に長く響いた。
 やがて残るのは機械の律動と、灰皿にくすぶる煙の匂いだけ。


 静寂。

 ひとつのモニターが、独りでに点いた。

 【Δ.H0】

 ノイズが薄く退き、光の輪郭が生まれる。名は呼ばれない。説明もない。ただ“いる”。視線はこの室内を通り抜け、どこか遠い地点を見据えている。羽音がぴたりと止み、代わりに低い振動が足元を伝った。

 それは記号でも映像でもなく、ただ“観測されている”という感覚だけが残った。

 音はない。合図もない。次の瞬間、像は切れ、黒が戻る。

 管制室は再び、機械の律動と闇だけになった。黒い鏡面に、先ほどの光の残像が一瞬だけ滲む。それは記録され、保存され、どこかへ送られる。
 観測は終わらない。

 そして、支配もまた、理由を得た。

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