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静寂を裂く低い唸りが港の廃墟にこだました。鉄錆の匂いを孕んだ風が吹き抜け、塩で侵された壁がぱらりと剥落する。暗がりの梁を、微細な羽音が這うように渡っていく──砂塵に紛れる黒い小影は、ただの虫と誰もが思い込んだ。
そこに立つ影はひとつ。黒衣の巨影は、最初からそこにいたかのように当然の姿で、カニヴァルスの前に現れた。[スペリオルズ]の支配者──ドミネーター。わずかな足音で床が震え、背に浮遊する瓦礫が静かに降下すると、空気そのものが彼の意志に従った。
「……スペリオルズが、わざわざ私のところへ来るとはな」
カニヴァルスは冷笑を装う。だが右の眼窩の疼きとともに、喉を掴むような圧迫感が胸を冷やしていく。隊士たちは息を潜め、誰も口を挟まない。黒い羽音が一度だけ近づくと、彼女は無言で指先で潰した。掌に残る冷たさは、縛られる予感そのものだった。
(……また、縛られるのか)
「選択肢を与えるためだ。この場所を取り巻く状況は、お主が思うより深刻だ」 仮面越しの声は揺るがない。提案すら、予定された一部に思える。
「……目的はなんだ?」
「同盟だ。大きな脅威が迫っている。お主も一国の主なら理解できるはずだ」
カニヴァルスは視線を合わせない。失った視界が、欠落の記憶を呼び起こす。だが彼女は立場を崩さない。背後の隊士たちは武器に手を掛けながらも沈黙し、額に冷や汗を浮かべていた。誰もが「もし逆らったら」と想像して震えていた。
(ここで折れたら、群れは目をなくす)無意識に湧き出る対抗心。
「あの獣と手を組め、と? 貴様が仲立ちか」
「選ぶのはお主だ。ここにいる者たちの運命も、共に決まる」
ドミネーターが念力で滑らせた端末が、彼女の膝上で止まった。座標と時刻だけが白光に滲む。黒衣の巨影が瓦礫の影に溶けていくと、圧は嘘のように消えた。残ったのは沈黙と、鉄の匂い、そして虫の微かな渦。
黒衣の巨影が瓦礫の影に溶けると、圧は嘘のように消えた。
だがその場に残された沈黙は、あたかも盤上に置かれた駒のように、誰一人逆らえぬものだった。
柱の陰から、一人の青年が歩み出る。日焼けした肌、鋭い目つき──ジョジョ。まだ隊士見習いの腕には包帯が巻かれ、頬に乾いた血の跡が残る。
「……さっきの、何者です?」
問いに、カニヴァルスは端末を閉じて立ち上がる。
(弱さは、群れの毒だ。だが──)
その眼光に決意が宿っていた。
ジョジョの視線が漂う羽音を追う。手が無意識に握られ、空間を殴る。瞬きの間、空気に髪の毛ほどのヒビのような歪みが走り、近くの砂塵がはじけた。鼻血が一筋、落ちる。隊士たちが息を呑み、互いに視線を交わした。
「無茶をするな。……守るべき相手が、見えているなら尚更だ」
カニヴァルスは白金の髪を払うと、青年の鼻血を親指で拭った。ジョジョは一歩退き、深く頷く。その瞳には、港で寄り添う子どもたちの影が揺れていた。
「隊士を二人付けろ。……ジョジョ、お前も来い」
彼女は端末を懐にしまい、外套の襟を立てる。
背後で、紫がかった光が一度だけ瞬く。詩的な口調の異形が現れて、気配だけを残す。
「失ったものは影を歪める。だが縛るのは光そのものだ」
振り向くと、オラトリオの姿は既に薄煙のように消えていた。虫の群れが、空の隅へほどけていく。
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砂の地表を切り裂くように、白い残像が駆けた。次の瞬間には別の屋根、その次には崩落した橋の欄干──マッハラインだ。風そのものの足取りで野営地に達すると、幕舎の前に立つ巨影へと軽い口笛を投げた。
「待ってた? あんたがワイルドシングか!」
頬の紋章に触れ、彼は眩しげに笑う。[スペリオルズ]の紋章が陽光にきらめき、羽音が彼の周囲で渦を巻いて散った。
「……ふん。スペリオルズか」
獣じみた眼光が細まる。タネ・トア──ワイルドシングは手を挙げ、戦士たちの包囲を制する。薬の金属臭と汗の匂い、そして黒い点の群れが血の落ちた土に吸い寄せられていく。
「ガキの遊びに付き合う暇はねぇ。要件を言え」
「総帥からの誘い。重要な話がある、ってさ。あんたに会いたいって!」
あっけらかんと告げるマッハラインに、戦士たちの牙と爪が再び持ち上がる。
「なぜだ?」
「それがね──えーっと……聞いてないや! あはは!」 無邪気な笑い。張り詰めた空気が、わずかに揺るむ。
その時、幕舎の隙から、華奢な影が顔を出した。トゥパ・トア。緊張で唇を噛む癖がわずかに覗き、眼差しには父と同じ荒野の色が宿る。
「父上……」
戦士の一人が嘲る。
「弱き王子様のお出ましだ」
トゥパの喉が震える。背中の皮膚に薄い痕跡がざわりと走る──鱗とも、羽毛ともつかない微かな記憶の名残。しかし彼は拳を下ろした。
(ここで怒るのは父ではない)
ワイルドシングが鼻で息を鳴らす。
「やめろ。牙は内には向けねぇ」
その声は、商いと戦の狭間で幾度も仲間をつないだ手並みの響きだった。嘲った戦士たちは視線を逸らし、気まずそうに拳を握り直す。息子の沈黙が、かえって父の言葉を証明していた。
「面白いガキだ」
ワイルドシングはマッハラインから端末を受け取る。座標と時刻が白光に浮かぶ。遠くの荒野には、昨日刻まれた〈レールガン〉の爪痕が黒く残り、乾いた風が煤を運ぶ。
「大人の事情は複雑だ。少し待て」
「もちろん! 僕、待つの得意だから!」
そう言って指を鳴らす笑顔の裏に、ほんの一瞬だけ無表情の影が差した。 すぐに白い風となって退いたが、その落差が、芝居じみた匂いを残した。
父と息子が並ぶ。
「トゥパ。……群れは牙で守るが、牙は仲間を裂いてはならねぇ」
「……はい」
短い応答の奥で、少年の胸の奥に熱が灯る。それはまだ名もない。怒りでも勇気でもなく、ただ「継ぐ」という感覚だけが、薄く強く、鼓動の形になっていた。
(いつか、この背に並ぶ日が来る)

老人めいた預言者が、人垣の影から歩み出る。黒い羽音が一斉に止み、空気の層がひとつ重なった。
「血は継がれ、獣は牙を渡す。だが牙を噛むのは誰だ?」
まるで盤上に置かれた駒の動きを楽しむかのように、オラトリオの声は嗤っていた。
ワイルドシングは返さない。幕舎の布がはためき、砂が低く唸る。判断の重みが、野営地全体の骨組みにまで沈んでいった。
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ギアホールドの空は、なお〈レールガン〉の残光を映していた。砲撃の余韻は金属臭と焦げを漂わせ、廃工場の梁からは錆が粉雪のように降る。散らばった鉄屑に小バエがたかり、センサーがそれを弾くたび、細い駆除光が走った。
フェラン・フィエロ──アイアンキングは、無駄なく立つ。巨躯、右上半身の改造痕、右腕は発射装置として再構築され、〈レールガン〉の充電音が低く胸腔を震わせた。
「……支配者は俺だ。この力が証明だ」
鈍い響きに、周囲のサイボーグ兵士が背筋を伸ばす。
「こんな卑怯なやり方、戦いとは呼べねぇ」
土煙を蹴ってグリズロスが唸る。熊のような巨体が、一歩で壁際のコンクリートをひび割らせた。
「やめろ、グリズロス。ここで争っても意味はない」
クリスタリクスが、半透明の結晶の皮膚をわずかに煌めかせて割って入る。反射光に兵士たちの瞳孔がすぼまる。
「分け与えるのが俺の役目だ。力は秤じゃない。選ばれし者が未来を担う──それが俺の誇りだ」
アイアンキングは短く言い切る。
グリズロスは鼻を鳴らすと、拳で壁を叩いた。コンクリートが崩れ、小さな黒い点が一斉に散る。
「……ちっ。腹ごしらえしてくる」
「失礼をお許しください」
熊と結晶が背を向ける。巨塔の影のような二人の背が遠ざかると、兵士たちの肩からわずかな強張りが抜けた。だが沈黙は重く、誰もが口を閉ざしたままだった。呼吸を乱す音だけが場に響く。
その時、別の柔らかい声が空間の温度を変えた。
「怖がらなくていいわ。……ここで震える必要はない。深呼吸をして」
青い衣をまとった女性が、薬草袋を抱いて進み出る。フェリッサ・フィエロ。咳を抑えつつも、兵士の手を包み込むように触れ、縫合痕の残る細い指で薬草を分け与える。彼女が歩くと、自然と人が寄り、荒れていた表情にやわらぎが落ちた。数人の兵士は息を吐き直し、深く頷いていた。
荒い呼吸をしていた兵士の肩が、彼女に背を叩かれるとわずかに落ち着いた。
アイアンキングは振り向かない。だが右肩の装甲がわずかに沈む。
「……無駄弾は撃たない」
短い独白は、彼女がいる時だけ柔らかく聴こえる。フェリッサは頷き、歌のような祈りを口ずさむ。錆の匂いに、薬草の香りが少しだけ勝った。
彼は歩みだす。選んだ道を裏切れない男の歩幅で。背後でフェリッサが子らを抱く姿を、誰も目を逸らせなかった。
その豪語さえ、見えぬ盤上の手に打たされた一手にすぎなかった。
フードの影が近づく。シャーマンの姿を借りた何かが、焚き火の煙に混じって囁いた。
「鉄は誇りを語る。だが誇りは、折れぬことと同じではない」
アイアンキングの瞳が赤く光る。
「誰であろうと、俺の道を阻むなら叩き潰す」
微細な羽音が、赤い光の縁で散った。
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