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旧パース・シティ近郊、エイボンバレーの荒野に築かれた街──アッシュポイント。
昼下がりの中央市場は、今日も喧騒に包まれていた。灼けた空気が砂塵を巻き上げ、喉を焼く熱風の中、人々は声を張り上げ、薬物や鉱物、廃墟から引き剥がされた武器や機械部品を売り買いしている。
耳を澄ませば、ディーゼル発電機の低い唸り、鉄屑を叩く甲高い音、遠くから響く怒鳴り声や笑い声が、乾いた空気に混じり合っていた。血と油と砂の臭気が鼻腔を突く。
だが、その活気の下に潜むのは、常に緊張と暴力の匂いだった。
路地裏では血に染まった衣服を洗う女がいる。別の通りでは、武装した戦士二人が肩を押し付け、通行の権利を奪い合い、短剣の切っ先がわずかに光る。
戦士部隊──ワイルドシングが率いる薬物強化兵たち。彼らは「力」の象徴であり、同時に制御不能の危うさを孕んでいた。薬の効果で肥大した筋肉を誇示し、獣のように笑う者。上官に牙を剥き、路上で刃を振るう者。命令を無視し、密売ルートを争奪する者。反乱も処刑も、この街の日常だった。
ただ、この日の市場は、いつも以上に熱気を帯びていた。
ギアホールドとの抗争で散った戦士たちを弔うため、女や子供たちが焚き火の周りで踊り、低い歌声を響かせていたのだ。
死者を悼む声はすぐに獣じみた咆哮へと変わり、地面を踏み鳴らす音が広場を揺らす。酒が回り、血と煙の匂いが混じり合い、荒野の空気に濃く染み込んでいく。
「死した者は獣王の宴に集う! 血を流した者は牙を輝かせて帰る!」
老婆が叫ぶと、群衆は一斉に唸り声を上げ、武器を掲げた。
戦場で命を落とした仲間の名を一つひとつ呼び上げ、咆哮と共に天へと送り出す。
涙を流す者はいない。荒野で生きる者にとって死は恐怖ではなく、誇りだった。
広場の奥、粗末な玉座のように積まれた鉄屑の上に、ワイルドシングは腰を下ろしていた。
両脇には数人の女が侍り、彼の肩や胸に手を這わせては、酒杯を差し出す。
ワイルドシングは豪快に酒をあおり、喉を鳴らして笑った。
その笑い声は、焚き火を囲む戦士たちの咆哮と響き合い、まるで獣の群れが一斉に吠えるようだった。
「ふはははっ! 牙を折って死んだ奴らも、今ごろ荒野で獣王の宴を開いていやがる!」
女の一人が彼の腕にしなだれかかり、笑いながら肉片を差し出す。ワイルドシングは噛みちぎり、骨ごと砕く音を響かせた。
その姿を見て戦士たちは歓声を上げ、踊り子たちはさらに激しく足を踏み鳴らす。
だがその熱狂の下では、別の影も蠢いていた。
踊りに身を委ねる者の背で、戦士同士が睨み合い、拳を交わす。
弔いは忠誠を示す場であると同時に、新たな序列を決める闘技の場でもあった。
倒れた者は戦死者と同じく讃えられるが、勝者はさらに高く名を刻む。
ワイルドシングはそれを愉快そうに見下ろし、再び杯を掲げた。
血、酒、肉、女、そして死──そのすべてを抱え込むことが、この街を支配する「獣王」の証であった。
市場の一角、高台に積まれた木箱に腰を下ろし、周囲を睥睨する男がいた。
タネ・トア──この街を支配する王。人々は彼をワイルドシングと呼ぶ。
黒褐色の肌に刻まれた鱗や羽が残った変身痕、鍛え上げられた壮年の体躯。豪放な笑いと戦場で培った威圧感を纏うその姿は、誰の目にも「荒野の獣王」そのものだった。
だが、その眉間には深い皺が刻まれていた。燃料は底を突き、予備部品は尽きかけ、戦士たちは士気を失い、派閥争いを繰り返している。
「……くだらん。部品がなければ奪えばいい。士気が低けりゃ、死ぬまで戦わせろ」
吐き捨てるような言葉に、傍らの部下たちは息を呑む。ワイルドシングは本能で決断する男だ。だが彼自身、もはや本能だけで支配が維持できぬことを理解していた。
その時だった。 砂塵に光が揺らぎ、背後に影が差す。振り返れば、そこに立っていたのは一人の人物。
粗末な外套を纏い、砂に焼けた布で顔を覆っている。だが、銀色の瞳だけは覆い隠せず、真っ直ぐにワイルドシングを射抜いていた。
「血の川は静かに満ちる……溢れる時を選ぶのは、牙ではない」
低く風に溶ける声。
ワイルドシングは目を細めた。奇妙な言い回しだが、胸中を覗き込むような響きがある。
「……また妙な口ぶりだな。だが言いたいことは分かる」
彼の視線を受けるその人物は、オラトリオ。正体は誰も知らない。だが、荒野で唯一、先を読む力と知恵を備えた存在だった。
オラトリオは銀の瞳を細め、言葉を紡ぐ。
「鉄と油の廃都……多くの物資が発掘された。旧時代の倉庫群、封鎖されていた工場。そして──小型融合炉の再起動。荒野で唯一、安定した炎を手にした場所だ」
「ギアホールドか」
ワイルドシングは名を吐き捨てた。
過去に幾度も血を流しあった相手。交易路や資源地帯を巡る戦いで砂を赤く染めた。幾度も巨躯の男──アイアンキングと刃を交えた。奴はただ耐え、守り、過去の亡霊を背負うだけ。ワイルドシングにとって退屈な相手だった。
(大層な牙を手にしたなら、奪って首飾りにしてやるか)
握り込んだ拳に力が宿る。
「……つまり狙うなら今ってわけか」
オラトリオは頷かず、ただ呟く。
「嵐はすでに歩き出している。牙を研ぐだけでは、風向きは変わらない」
その言葉は、戦いを求める本能を直撃した。資源不足、内部抗争、崩れかけた支配──全てを打破するには、奪うしかない。
その瞬間、群衆の陰から小柄な青年が現れた。
トゥパ──ワイルドシングの息子の一人。華奢で戦士とは程遠い姿。
彼の母はかつて、世界政府の影に仕える研究員だった。戦士や住民に薬を投与し、人体を弄ぶ非道な実験に関わっていたが、やがてそのやり方を憎み、そして王に惚れ込んで組織を裏切った。
だが、王の血は濁っていた。生まれた息子トゥパの体をも蝕み、母は病を負いながらも、教育と資料を託して若くして逝った。
その秘密を知るのはトゥパだけだった。彼は真実を抱えながらも力を持たず、父に告げることすらできずに生きてきた。
彼は恐る恐る父の前に歩み寄り、声を震わせる。
「父上……! 今は攻めるより、民を休ませるべきでは……」
戦士たちが一斉に嘲笑した。
「ひ弱な王子が口を出すな!」
「獣王の血は途切れたか!」
トゥパは唇を噛みしめ、拳を握る。だが、その腕は細く、父の影の下で震えるばかりだった。ワイルドシングは冷ややかに息子を見下ろす。
「牙を持たぬ者が荒野を語るな」
その一言が、青年を押し潰した。トゥパは何も言えず、群衆の陰に沈んだ。
トゥパは何も言えず、群衆の陰に沈んだ。
その沈黙を嘲笑するかのように、一人の戦士が前に躍り出た。
筋骨隆々の巨体に薬を打ち込み、青黒い血管が浮かび上がる。目は充血し、唇から唾を垂らして吠える。
「ひ弱な王子に代わって、この俺が王座をいただく! 牙を示せぬ獣王など、荒野には不要だ!」
群衆がどよめいた。
荒野の掟──王に挑む権利は誰にでもある。強き者が支配する、それがこの地の絶対だった。
ワイルドシングは鼻で笑った。
「面白い。ならば、荒野に王が二人も要らぬことを教えてやろう」
彼は立ち上がり、木箱を踏みしめて前に出た。砂が舞い、荒野の風が唸る。
戦士が雄叫びを上げ突進する。爪のように伸びた指先が閃き、渾身の力で斬りかかる──。
その瞬間、ワイルドシングの影が揺らいだ。
四肢を獣のように広げ、低く構え、瞬きの間に間合いを詰める。
轟音。戦士の巨体は拳一つで弾き飛ばされ、木箱を砕きながら地に叩きつけられた。
「が、あっ……!」
呻き声とともに血が吐かれる。戦士は立ち上がろうとしたが、次の一撃で顔面を踏み抜かれ、呻きは絶叫へと変わった。
「牙を折られた犬に、荒野を歩く資格はない」
吐き捨てられた声は冷徹で、砂塵よりも重く群衆の胸に沈んだ。
戦士は泡を吐きながら痙攣し、そのまま動かなくなる。殺されはしなかったが、二度と戦士として立てないことは誰の目にも明らかだった。
群衆は一斉に咆哮した。恐怖と歓喜の混じる獣の声。
武器を掲げ、足を踏み鳴らし、荒野の王が健在であることを再確認する。

トゥパはその光景を見つめて震えた。
父の力は圧倒的だ。誰も逆らえぬ覇者。だが同時に、その姿はあまりに残酷で、彼には到底歩めぬ道に思えた。胸の奥で小さな痛みが膨らんでいく。
ワイルドシングは立ち上がり、胸いっぱいに熱気を吸い込み、腹の底から声を放った。
「お前ら! 耳を貸せ!」
市場の喧噪が一瞬にして凍り付く。
無数の視線が集まり、戦士の目が光る。商人たちすら息を呑む。
「ギアホールドだ! 奴らは牙を手にした。物資も、武器も、燃料も──全部あそこにある!」
ざわめきが走り、戦士たちの血が騒ぎ出す。
「俺たちがやることは一つだ! 奪い取る! 荒野の牙が何を喰うのか、奴らに思い知らせてやれ!」
その叫びに、戦士たちの咆哮が重なる。武器を掲げ、足を踏み鳴らし、血と砂の匂いを嗅ぎ分ける獣のように吠えた。
その頭上を、黒い影が舞った。小さな羽音。砂塵に紛れた無数のコバエが群れを成し、群衆を俯瞰していた。
オラトリオは群衆の中で、ただ静かにその光景を見つめていた。銀の瞳が揺らぎ、風が市場を吹き抜ける。嵐の前触れのように、乾いた空気が震えていた。
その背後で、トゥパは父の姿を見つめていた。胸の奥で何かが疼く。
恐怖か、怒りか、悲しみか──まだ分からない。だが彼の瞳には、確かに炎が映っていた。
砂嵐が市場を吹き抜け、全ての音を一瞬かき消した。
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