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エンジンの低い唸りが金属床を震わせ、微細な振動が脛から内臓までじわりと昇ってくる。薄く落とされた機内灯は工具箱の縁を鈍く光らせ、循環空調の匂いに油と金属粉の気配が混じっていた。耳を澄ますと、風の漏れる音にまぎれて、どこからか小さな羽音がかすかに溶け込んでいる。砂漠で聞き慣れた虫のそれに似て、しかし律動が機械的すぎた。砂塵のない高度でも、羽音は消えない。
ヨハン・ヨンソンは背もたれに半身を預け、揺れに合わせて椅子の脚をくゆらせる。前髪が額に落ち、眠たげな黒の双眸が、笑みと計算のあいだに細い綱を張っていた。
「『最強』って肩書き、重いだけなんだよな。名札の重さで給料も増えればいいのに」
間延びした調子。ロドリゴ・リバウド・ヘイス・リベリーノは思わず吹き出して、すぐに胸の前で十字を切る。
「増えない。だから誰かが死ぬ。……たぶん、あなた」
ハン・ファが無表情に断言する。多色のメッシュが差し込まれたツインテールが、機内の薄明かりで不吉に反射した。声の温度が、ひと呼吸のあいだに数度落ちる。
「って、俺か?」
「うん。面白いし」
真面目な表情で語るハン・ファにヨハンは苦笑い。
「アーメン……いや待て、今日の星座占いで俺は一位だった。いや、最下位だったか? 色の悪いパン食ったし……不吉の兆候、あるな」
おどけは祈りの裏返しだ。ロドリゴは早口で自分を宥め、ヨハンは肩をすくめる。
「本部からの通信、入るぞ」
イヤホンの奥で、低く抑えた声が湿度を増やす。
≪こちら[統律特命局]。アルファ、聞こえるか≫
「クリアですよ、長官」
≪小型融合炉の保護を最優先とする。現地での全力行使は制限。繰り返す、全力は使うな。状況は……単純じゃない≫
数語の間と、言いよどみ。選ばれなかった言葉の重さが、逆に伝わる。
「了解。細かい判断は現地で」
ヨハンは不穏な空気を察知するが、視線の先にいる二人もまた同じ。
「ああ、終わった。小型融合炉の保護だぞ? 巻き込まれて爆死する未来が見える。そう思わないか? これも神の試練か。しかも、全力を使うなという命令。つまり、裏読みすると全力を使えという事か? いやいや、違う違う……」
思考の迷路に入り込んだロドリゴにヨハンは口を挟まない。
「面倒くっさ」
ハン・ファは小さな手鏡で口紅の色を見て、すぐ無関心に投げ出した。
ヨハンは小さくため息をつく。そして、笑ってみせる。笑みの奥で、計算式が静かに走る。
雲海を抜ける。
視界の底に、旧パース・シティが死にかけた巨獣の骨格のように横たわっていた。理想都市の巨大ドームは裂け、骨組みだけが空へ歪む。海沿いの港湾施設は潮と砂に齧られ、倒れたクレーンが風に軋む。
「着いたな。……いや、違う」
ヨハンの視線が窓外ではなく、計器のわずかな変化に止まる。地表の一点が赤く閃いた。
次の瞬間、赤熱光条が左舷を貫いた。
金属が悲鳴を上げる。薄板が裂ける声、空気が焼ける臭い、オゾンが鼻を刺す。重力が唐突に横向きになる。内臓が吊り上げられ、視界が白い火花で塗り潰される。
「終わったな」
ヨハンは穏やかに言い、刃のような光を一瞬だけ瞳に走らせる。ロドリゴは十字を切って「アーメン」を連呼し、ファは手鏡を床に弾ませ、左手を持ち上げた。
「微調整しないから」
ハン・ファの声に続けて空気が重く粘り、音が膜の向こうへ遠ざかる。座席のボルトが悲鳴を上げ、ネジ山が剥ける感覚が掌に伝わる。
機体が解体されるように軋みながら傾斜し、三人の身体は浮いた。ハン・ファの指先の向きに合わせ、重力のベクトルが曲がる。
「一応、全力制限されているから頼むぞ」
「アーメン……俺、今日最下位だから優先保護で!」
「うるさい」
ヨハンの皮肉で、ロドリゴの顔色がわずかに戻る。
ハン・ファは眠そうな顔になりながら手から放たれる力による圧壊音。機体後部に火が回り、外気が獣のように吠えながら吹き込んだ。
三人は投げ出された。
背後で輸送機が火花を引いて墜ち、地表で爆散する。――爆炎の閃光に照らされ、空へ散った黒い点が群れとなって四方へ飛び散った。羽音の渦が、熱と砂塵に揉まれてノイズのように震える。
空中。
ハン・ファは思念系ネクス能力《グラヴィシア》を発動し、左手で引力、右手で斥力を瞬時に切り替え、飛来する破片を弾き、着地点の斜面角をわずかに修正する。ヨハンは落下速度と風向、瓦礫密度を瞬時に見積もり、ロドリゴは祈りを早口で上書き続ける。
風の味は鉄。舌先に錆の粒。遠くで別の爆音が遅れて届く。別セクターで上がった黒煙が二本、地平線に縫い付けられている――同時進行の災厄は、いつも人手不足だ。
足裏が、地面を掴んだ。 砂がつめたく沈み、靴底から骨に軋みが立つ。ファはぶすっと口を尖らせて土埃を手の甲で払う。ロドリゴは何度も短く礼を言い、胸に手を当てて息を整える。
「予定のギアホールドはあっち。……距離、任せた」
ヨハンが指差す旧パース・シティの廃墟にハン・ファは見ていない。
「知らない」
「えっ?」
「眠い」
まるでやる気のないハン・ファ。ツインテールの先が、鬱の重さで少し垂れる。
「視認。あそこ……アッシュポイントの斥候と、クロウズネストの見張り。完全にバレているな」
ヨハンの指先の先、崩れた高架の影に人影が溶けている。光学迷彩の端が風にちらついた。羽音が、いつのまにか近くで増えている。砂粒ほどの黒点が、血の匂いもないのに漂い続けていた。ロドリゴが払うと、黒点はふわりと避け、すぐ戻る。
「派手な登場をした罰だ……これは神の試練だ。ヨハン、俺たちは地獄の門を叩いている。アーメン……アーメン……」
「確かに落ちているけどよ。もう少し楽しい事を言ってくれよ」
「地獄が待っている。若いのにファまで堕ちるとは……俺たちは呪われているんだ」
何度も「アーメン」と祈るロドリゴだが、すでにヨハンとハン・ファは聞いていない。それどころか完全に瞼が閉じられている。そして、三人の落下速度は増して地面との距離が数メートルまで迫る。
ファの肩が小さく震え、足元の砂が不自然にふわりと浮き上がった。
眠気に沈む意識の底で、抑えきれない力が漏れ出している。ヨハンは舌打ちし、慌てて声をかけた。
「寝るな! ファ!」
瞼が完全に閉じられていたハン・ファはゆっくりと目を開けると同時に《グラヴィシア》が発動し、三人は安全に着地した。
そして、ドスンという大きな音とともに破壊された〈オブリヴィオン〉の破片が地面に落ちる。

「さーて、状況は最悪だと思う」
水平線の先には獣の群れが見え、高台には赤い服装のポツポツと見える。 ヨハンはスーツに付いた砂埃を払い、一息はいて視線を前方や左右にも向ける。
「どうするの」
やる気のないハン・ファの珍しい質問にヨハンは待っていたかのような返答。
「寄らない。寄ってくるのを待つ」
「ふーん。じゃあ、寝る」
大きな欠伸をするハン・ファ。そのすぐ後ろでは跪いてロザリオを握って祈るロドリゴ。
潮の匂いがかすかに戻る。海から吹く風が、裂けたドームの装甲片を叩き、高い金属音を鳴らした。 遠く、レールガンの尾を引く余光が空の端でほどける。今の直撃が偶然ではないことを、誰もが知っている。
「長官の言いよどみ、引っかかるな」
顎に手を当てながらヨハンの推理が始まろうとする。
「守れって言う時の声だった。守る対象は物か人か。……両方か」
答えのない推理にハン・ファとロドリゴは聞いていない。
羽音が、さっきよりもわずかに太い。砂塵の中で、黒い線が密度を増している。
ヨハンは笑って、肩を竦める。
「じゃ、観客に見せ場を一つ。――ファ!」
「パス」
ハン・ファが手で払うような仕草にヨハンはポカーンとする。
「ファちゃん、そこを何とか頼むよ。パフェ奢るからさ」
「本当に?」
「もちろんだ! 俺が嘘をつくと思うか?」
「思う」
「おいおい。俺はいつ嘘を付いた?」
「三回」
ハン・ファの即答にヨハンは言葉を失う。
「三回分のパフェ」
頭を抱えるヨハンがチラッとロドリゴを見る。ずっと祈りの言葉を唱える彼に助け舟は期待できない。
ハン・ファの鋭い視線がヨハンの頭部を貫くような感覚。
「分かった! 三回だな?」
「うん」
「よーし! 三回分のパフェを奢るから頼んだ!」
ずっと無表情だったハン・ファは突如、口角がつり上がる。
「やったね! あはは! ラッキー! 三回よね! 絶対、絶対に守ってよ!」
急に人が変わったような血走った目と大きくつり上がった口角。同時にメッシュのツインテールが重力に逆らうような揺らぎを見せる。
躁状態となったハン・ファの左手による引力の強さが増していく。地面が低く唸り、瓦礫がきしむ。 遠く前方の獣たちがざわめき、群れ全体がこちらを睨んだ。さらに背後の廃墟からも金属音が響き、見えない敵意が一斉に動き出す。
――衝突は、次の瞬間に始まる。
ロドリゴの低い祈り声が風に乗り、ざわめく獣たちの唸りと奇妙に重なった。
まるで異国の聖歌と獣の咆哮が混じり合い、戦場そのものが祈りに共鳴しているかのようだった。
「俺は最下位だから、ファちゃんとロドリゴで俺を守るルール。いいな?」
ヨハンの大きな独り言。なぜなら、ハン・ファは笑いながら《グラヴィシア》を発動しており、ロドリゴはまだ祈っていた。
「おい、忘れるなよ! 三回分のパフェだぞ!」
ヨハンの軽口に、躁状態のハン・ファが高笑いを返す。祈り続けるロドリゴの声と笑い声が重なり、廃墟に異様な反響を生んだ。
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