作品データ
あらすじ
1630年のニューイングランド、信仰に篤いウィリアムは妻キャサリンと5人の子供たちと入植地での生活を始めたばかり。
しかし、一家は住民と衝突した為に森の近くの荒れ地に居を構え、厳しい自給自足の生活を余儀なくされる。
ある日、年頃の長女トマシンが子守をしていた赤ん坊が消え、次々と不幸が降りかかる中、家族は魔女の仕業として彼女に歌いがの目を向けていくのだった。
登場人物&出演者
・トマシン(演:アニャ・テイラ=ジョイ)
近年の出演作に『ニュー・ミュータント』、『プレイモービル/マーラとチャーリーの大冒険』などがあります。
主人公。一家の長女。村から家族が追い出されるが、一人だけ呆然として受け止められていなかった。
家族だけの自給自足の生活が始まると、生まれた末っ子の面倒をみるも消えてしまう。
ケイレブと森に行くも自分だけが帰ってくると、母親から疑いの目を向けられてしまう。
ケイレブが呪いで死に、双子を魔女と契約したと話し、父親がヤギに殺されていた。
最後は襲う母親を殺し、ヤギに導かれて守りヘナ入っていき、魔女たちの仲間となった。
・ケイレブ(演:ハーヴェイ・スクリムショウ)
代表作に『オレンジと太陽』、『アダルト・ライフ・スキルズ』などがあります。
一家の長男。村から家族が追い出されると、呆然としていたトマシンに声をかけた。
長男として父親から頼られ、森に行くも罠は空振りで、消えた末っ子の探索を訴えた。
女性として成長するトマシンに欲情していたが、悟られないようにずっと黙っていた。
両親の為に食料を確保しようとトマシンと森に入るが、犬を追って森の魔女に出会う。
最後は裸で家に帰るも弱っていて、突然神と出会ったと叫んでそのまま死んでしまう。
・マーシー(演:エリー・グレインジャー)
本作が長編映画デビュー作となります。
一家の双子の女の子。村から家族が追い出されるが、状況が分からず両親に従っていた。
弟のジョナスといつも行動していて、黒ヤギをブラック・フィリップと名付けていた。
いつもジョナスと同じ歌を歌っていて、落ち込む家族の雰囲気をぶち壊してしまう。
甘やかされる立場で厳しくされるトマシンから魔女だと脅され、そのまま黙っていた。
最後は父親にトマシンたちとヤギの小屋に閉じ込められ、魔女を見てから姿を消した。
・ジョナス(演:ルーカス・ドーソン)
本作が長編映画デビュー作となります。
一家の双子の男の子。村から家族が追い出されるが、マーシーと同じく黙って従った。
いつもマーシーと一緒に行動して、ブラック・フィリップと会話をして遊んでいた。
末っ子が消えても状況が分かっておらず、気分が沈むところでうるさい歌を歌っていた。
マーシーからトマシンが魔女だと聞いて、ケイレブがそうなったのは姉のせいだと主張。
最後はヤギの小屋に閉じ込められ、魔女を見てしまうとマーシーと姿を消してしまう。
・キャサリン(演:ケイト・ディッキー)
代表作に『最強のふたり』、『プロメテウス』があります。
一家の母親。村から家族が追い出されると、反対する夫に何も言えず黙って従っていた。
村を離れて自給自足の生活をする中で、生まれた末っ子のサムを大事に育てていた。
トマシンにサムを任せるも消えてしまい、その日以降ずっと神への祈りで救いを求めた。
父親の形見である銀のコップをトマシンがなくしたと責め、サムが消えた事も責めた。
最後はケイレブと夫もなくし、トマシンを魔女として襲うが、包丁で反撃されて死亡。
・ウィリアム(演:ラルフ・アイネソン)
代表作に『ワイルド・ストーム』、『ザ・ボーイ/残虐人形遊戯』があります。
一家の父親で大黒柱。村から家族が追い出されると、評議会が間違っていると主張した。
新たな地で自給自足の生活を始めるが、冬までの蓄えがなくて焦って狩りも失敗する。
末っ子がいなくなって神の意志だと解釈し、なんとか立て直そうとするも上手くいかず。
ケイレブが死んでしまうと、双子からトマシンが魔女だと聞いて責めて裁判を考える。
最後は罪を壁に向けて告白し、暴走する黒ヤギに勝てないと悟り、そのまま殺された。
感想
[個人的な評価]
本作は『サンダンス映画祭』にて監督賞を受賞しています。
監督を務めるロバート・エガースにとって長編映画デビュー作となります。
タイトルから分かるように本作は「魔女」を扱った作品ですが、ちょっとばかり演出の仕方が違っています。
ホラー映画というよりホラーファンタジー映画と言った方が近いと思います。
なぜなら、この作品はクリーチャー的な魔女より、もっと精神的な部分を捉えています。
始まってから主人公の一家が村から追放されるが、その理由について明かされません。
そうなれば、主人公たちの視点からしか原因が分からず、彼らの考え方から物語を観ていく感じになっていきます。
当初のイメージでは、敬虔なキリスト教である主人公たちの正しさを思わせるが、物語が進むにつれて違う感覚を与えてくれます。
何かを信じるのはいいと思いますし、それによって迷いが消えるならば間違っていない。
しかし、本作で出てきた家族が神に縋るのは信仰心ではなく、単なる思考停止にしか感じられなかったところに怖さを持ちました。
信じていれば必ず救われ、何か問題が起きると自分たちの信仰心がなくなったと己を責めていました。
それは明らかに問題への対処を放棄している思考停止で、止める事すらせず悪化させるだけのような印象を持ちました。
本来なら神より家族の絆の方が重要で、特に本作の主人公たちは一家だけで生きていかないといけないから、信仰心のせいで崩壊してしまっているのです。
この作品では森の魔女が映像として表現されていますが、実際には彼らの幻覚で行きすぎた信仰心を表現したかったのでしょう。
そもそも、中世時代の魔女裁判とかは聖職者や権力者が自分の立場を守る為に作り出したクソみたいシステムで、当時の人々は知識がなかったせいでそうなったのだろう。
現代では少なくても考える自由が与えられているので、そういう時代だと思うしかない。
全体的に不穏な雰囲気で思考停止した家族の考え方にイライラさせられたが、それぐらい上手い演出の裏返しだと感じました。
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