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中央インド洋、赤道直下に建造された海上ドーム都市。
黒光りする床は靴音を吸い、壁は余計な反響を許さない。消毒液と金属粉の匂いが混ざり、空調は規格外の静けさで空気を切り替える。
通路脇には検知ゲートが連なり、青白い線が通過者を皮膚の下まで透かしていく。
ここは世界政府の喉元――[統律特命局]本部。
ヨハンは鼻をひくつかせ、潮とオゾンが混ざった冷気に「鉄の檻みたいだ」と呟いた。外殻に走る青白い稲光が壁越しにちらつき、閉じ込められた感覚をさらに強めていた。
ゲートを抜けた瞬間、ヨハン・ヨンソンが大きく肩を回した。焦げ跡だらけの制服は袖口が焼け、胸元も黒く斑点を作っている。
「おー、やっと空調が効いてる場所だな。灼けた砂漠よりマシだぜ」
軽い口調と笑顔。戦場帰りのはずなのに、息の乱れすらない。目が笑っていても、その奥で相手の反応を測る癖は消えない。演技と計算が同時に走る男だ。
ロドリゴ・リバウド・ヘイス・リベリーノはさらに酷い。変身時に裂けた生地が肩から垂れ、ズボンは膝下がほつれている。
「服っていうのは……本当に脆いな。いや、服だけじゃない……俺もだ。全力を出せば壊れる。壊れたら戻れない。なら……最初から出さない方がいい。結局、そういう結論にしか……辿り着けないんだ」
言いながら指先はポケットの小さなロザリオを撫で、
「大丈夫、大丈夫……たぶん」と誰にともなく繰り返す。
その早口は沈黙の隙間を埋める癖でもある。
ハン・ファは無傷の制服で無言を貫いていたが、眉間の皺が深い。
「あなたたちの後始末をしているこっちの身にもなって」
きれい好きな彼女にとって、焦げやほつれは汚れと同義だ。鏡を取り出し、髪のメッシュの乱れを直す仕草は、彼女が自分の振れ幅を均すための“儀式”にも見える。
曲がり角の先から、黒い制服の三人が現れた。
ガンマチーム。揃った歩調と無駄のない動き、視線だけが鋭く動く。
先頭のアビゲイル・エイミー・アームストロングが、歩みを止めずに横目を向ける。
「お帰りなさい、先輩方。……また制服がそんなことに」
敬語だが、明らかに呆れを含んだ声だ。彼女の指先がペンダントに一瞬だけ触れ、視線はすでに次の分岐を読んでいるかのように冷たい。
「いやぁ、情熱的な再会だな」ヨハンが笑って近づく。
「で、今夜の予定は?」
「ありません。あったとしても伝える義務はありません」
即答。ヨハンは肩をすくめ、髪の毛を掻きむしるように困った顔になっていた。
リョウはロドリゴの服を見て、口角を上げる。
「スーパーヒーローの戦いの後という感じか?」
「ああ。この世にスーパーヒーローがいれば、真っ先に俺が狙われる。世界は……悪を許さず、悪は淘汰される運命。そうだ。俺はいずれ淘汰される存在。これは神から与えられた試練であり運命でもある……アーメン」
「お、おう……」
ロドリゴのネガティブ連鎖に巻き込まれたリョウは、困ったようにポケットからスナック菓子を取り出し差し出す。
「まあ、ほら、糖分でも摂れ」
ロドリゴは祈りの後、黙って受け取った。
ジャン=ジャック・ジャカールは人差し指と中指の腹をこめかみに当てながら「なるほど」と呟きつつ横目でハン・ファを観察する。
「君の切り替えの早さ、興味深いな。感情と理性の配分は――」
「分析するなら、離れてからにしてくれない?」
切り捨てられたジャンは小さく息を吐く。
「……このデータは破棄だな」
その肩に無言でリョウが手を置き、同じスナック菓子を渡す。
ジャンの視線はすでに複数の端末の仮想画面を泳ぎ、誤差を計測していた。
廊下の空気が、ふっと脈打った。
遠い換気ダクトの奥から、かすかな羽音が這い寄る。光に焦がれた小さな影が、照明の周りで渦を作った。指先で払えば散るような黒点たちはしつこくアルファとガンマの周囲を舞う。
頭上の照明の隙間を、防衛ドローンが無音で滑り、壁面モニターには海面監視映像が淡々と流れていた。その無機質な光景が、羽音の異様さを一層際立たせていた。
「また監視されてるな……」とリョウがぼやく。
アビゲイルは無視したが、壁のモニターに映る海面映像を一瞥して歩調を乱さなかった。
次の瞬間、通信灯が赤く点滅し、廊下全体に硬質な声が落ちた。
≪緊急指令:アルファは〈オブリヴィオン〉まで招集せよ。ガンマは〈オブザーバー〉よりトーキョー・シティの近郊を調査の急行せよ≫
赤い光に照らされ、黒い点が散り散りに飛ぶ。羽音は警告音と混じり、壁の角で増幅されていく。

「輸送機って、まだ帰ってきたばっかりなんだけどなぁ」
明らかに不満を表情に出すヨハンはアビゲイルを見ていた。
「これが我々の仕事です」
ヨハンの視線を遮るようなアビゲイルの冷たい言葉。
「そうだよねぇ。安月給なのに忙しい。でも、使うヒマがないから貯金し放題。ある意味、ホワイトな仕事じゃないかと最近思っているけど、アビーちゃんはどう思う?」
「分かりません。それにアビゲイルと呼んでください」
「水臭いなぁ、俺と君の仲じゃないか?」
「そんな仲になった記憶はありません」
「あれれ。そうだったっけ?」
ヨハンの遠回しな誘いをすべて斬り捨てるアビゲイルに隙はなかった。
「ロド。カロリーの摂取は大切だと思うが、あんたの場合は規格外じゃないか?」
「そうかもしれない。俺は既存の枠に入らない異物だ。常に満たされない欲望に囚われた危険な存在なんだ。リョウ。お前はそうならないように気をつけろ。いつか自分の中にある悪魔が勝手に暴れるかもしれない。いやっ、すでに暴れているかもしれない」
「悪魔ねぇ。オレの中にはスーパーヒーローしかないと思うが」
「信じる事は大切だ。そうそう。オレもまた信じるべきかもしれない。しかし、果たして信じる者は本当に救われるのか。もしや、オレは間違っているのか? 本当に神は救ってくれるのか?」
「まあまあ、落ち着けロド。やっぱ、お前にはカロリーが足りないな」
リョウは懐にあった高カロリーのプロテインバーをロドリゴに手渡す。またしてもロドリゴはネガティブ発言をしていたが、リョウはずっと「食え」と言っている。
「そのメッシュを維持するには平均で2週間ほどか。ブリーチしているならもう少し長持ちするようだ。なるほど。この色選びは独特と言えるな」
「うるさい」
「待ってくれ。君はとても面白いサンプルだ。ある程度の自由が許されているが、君のような自由さはとても貴重なデータなんだ。もう少し観察させてくれ」
「潰す」
「うん。もう大丈夫だ。君のデータは十分だ。そうそう」
ハン・ファの目が据わっており、短い言葉にかすかな殺気のようなモノが含まれる。興味深いサンプルは言え、さすがのジャンも適切な対応を求められる。
立ち去ろうとするファに対して、それでもしつこく観察するジャンはまるで危険なストーカーのように見えてしまう。
「ヨハン先輩。我々はトーキョー・シティ支部に向かいます」
アビゲイルはヨハンの誘いを完全に断ち切るような鋭い言葉。
「そっか。アビーちゃんとのデートは──」
「ありません」
ヨハンが言い切る前にアビゲイルは一太刀で片付ける。
「ロド。そのプロテインバーの効果を信じろ」
「……」
ロドリゴの口内にはプロテインバーが無理やり詰められている。リョウによる優しさである。
「そのメイクの参考は伝説的なゴスロリのカリスマ・マリマリか。なるほど。しっかりとアレンジしてあるようだ。まさか統律特命局の制服と合わせるとは……」
半分寝そうになっているハン・ファから適度な距離を取るジャンは、安全圏から彼女の濃い独特なメイクに着目していた。ハン・ファが時々目を開けた瞬間、端末を開いて見ていないようなフリをするが明らかにバレている。
アビゲイルが軽く会釈して別方向へ進む。
「ジャン、リョウ。足並み、乱さないように」
「任せろ。腹ごしらえも完了だ」
「ボクは――誤差ゼロで行きます」
ガンマの背が消え、アルファはエレベーターへ向かう。
「いや~。本当に残念だ」
肩を落とすヨハン。口内の水分をすべて吸い取ったプロテインバーを飲み込んだロドリゴ。大きな欠伸をするファがロッカーフロアに向かっていた。
床下からは融合炉の低周波振動がかすかに伝わり、壁の向こうでは淡水化プラントの駆動音が低く響いていた。湿り気を帯びた人工的な風が流れ込み、ここが“都市”であることを思い出させる。
ロドリゴは祈りながら、足裏に伝わる重低音を「心臓の鼓動みたいだ」と呟いた。
「都市そのものが生き物なら、俺たちは胃の中の異物かもしれない」
ヨハンは新しい制服を受け取りながら、隣のハン・ファに声をかける。
「なあ、今夜の予定、空いてる?」
「空いてない」
ヨハンは笑い、制服を肩に掛けた。笑いながら、視界の端で彼女の呼吸数と指先の震えを数える――躁でも鬱でもない“中間”に留めるため、今は刺激を与えないのが正解だ。
ロドリゴは端末に映る現地写真を眺める。
砂丘に刻まれた戦車の轍。爆心地の黒い花。立ち上る熱気の揺らぎ。
「……最悪は、想像より静かに来る」
「うるさい予報士だな」ヨハンが背中を軽く叩く。
「外れたら飲め。当たっても飲め」
ロドリゴは小さく頷き、ロザリオを握り直した。祈りは言葉になる前に、喉の奥で熱に変わる。
ハン・ファは鏡の前で髪を整え、わずかな埃を払う。彼女は乱れを嫌う。
集合の合図が鳴る。
エレベーターの床がわずかに沈み、静かに降下を始めた。鋼の箱の中で、会話はほとんどなかった。
壁面パネルには「研究局」「情報統制局」「対外工作部」といった名称が流れ、都市の中枢がここに詰め込まれていることを示していた。
「研究、統制、工作……どれもブラックな響きしかしないな」
ヨハンの冗談に、ハン・ファは目を閉じたまま「面倒くさい」とだけ返した。
窓の隙間からは、多層防衛ラインの索敵光が赤く夜空を走るのがわずかに見えた。
ヨハンは新調されたスーツを確かめ、ロドリゴはロザリオを手に取って静かに祈り、ファは小さく息を吐いて脱力していた。
扉が開けば、熱と砂と叫びが待っている。閉じれば、ここはまだ静かな“本部”。二つの世界の境界線は、ドアの厚さと同じくらい薄い。
ドーム上部の発着プラットフォーム。
巨大なハッチが開き、外殻シールドと星空の境界が露わになる。VTOL機専用の滑走路に誘導灯が走り、防衛砲塔がゆっくりと旋回していた。
潮風の匂いが一気に流れ込み、舌の上に塩の味が乗る。遠くで低い地鳴りが続き、空の高みでは雷雲が巻き直される。
ヨハンは軽口を探し、見つけ、飲み込んだ。
「行くぞ。軽く、速く、確実に」
「大丈夫、大丈夫……たぶん」
「面倒くさい……けど、やる」
三者三様の声が重なり、足音は同じリズムになった。
滑走路の中央には、重装甲の機体が待ち構えていた。
厚い装甲板の隙間から赤い制御灯が点滅し、突入時の制圧射撃を想定した砲口が無言で外界を睨んでいる。
アルファは用意された専用輸送機〈オブリヴィオン〉へ乗り込む。
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