Scene.01 -「影眼饗宴」

スポンサーリンク
▼オリジナル小説

【>κ2c!cn{11#z—Ω…}】

 潮風は重く、鉄と油と錆の匂いを運んでくる。
 港湾地区に並ぶクレーンは長年の潮害に蝕まれ、赤茶けた鉄骨が軋むたび、夜空へ不吉な音を響かせた。波間には老朽船が数隻、黒い影のように漂い、うねる波に合わせて沈みそうに揺れている。腐ったロープがきしみ、積荷の残骸が海面に落ちて泡立った。
 闇に混じる羽音が耳を掠める。目に見えぬほど小さな黒い影が潮風に乗り、錆と油の臭気に惹かれるように漂っていた。

 コンテナ群の間では、異形の住民たちが身を寄せ合っていた。皮膚に瘤を持つ老人、角を生やした女、痩せた子供。誰もが飢えと病に蝕まれた目をしており、通りかかる隊士を見ると畏怖と憧れを入り混じった視線を向ける。選ばれし灰色のマントは「名誉」であり、同時に死の影でもあった。母親は子を抱き寄せ、虫を払うように手を振る。

 高層ビル群の一角にあるクロウズネストの指令室では、暗い蛍光灯がかすかに机を照らしている。壁を這う配管からは水滴が落ち、冷たい音を打ち続けていた。床の鉄板は錆に侵食され、過去の血痕がまだ消えずに残っている。電力の不安定さで灯りは時折明滅し、発電施設の唸りが重く響いていた。

「戻りました」

 灰色のマントを纏った二人の隊士が片膝をつき、頭を垂れた。
 その胸には赤い紋章が刻まれ、住民たちの羨望と畏怖を背負った象徴だった。
 彼らのマントは砂と血に汚れ、呼吸は荒い。だが選ばれし者としての姿勢だけは崩していない。
 鋭い片眼で彼らを見据えるのは、クロウズネストの頭目――カニヴァルス、スヴェトラーナ・ソフィア・シェフチェンコ。眼帯に隠された右目の喪失は、過去の敗北を物語る勲章でもあった。

「報告しろ。順番はアッシュポイントからだ」

「はい。ワイルドシングの戦闘部隊に異常が増えています。能力維持の薬が不足し、戦闘中に暴走して統率を失う例が多発。部下同士の争いも起きています」

 報告の合間に窓外から羽音が忍び込み、カニヴァルスは指先に止まった虫を無言で潰した。潰れた音が妙に響き、隊士たちは思わず息を呑む。

「先週だけで三件。暴走した戦士が味方を殺傷。薬物の運搬中にも同様の事態が発生しました」

「供給元は特定できたか」

「不明です。港の密輸ルートは隊士による監視で引き続き遮断されています」

「……あの獣の王は焦っているのか。引き続き監視の“目”を絶やすな」
「はっ!」

 カニヴァルスは腕を組んだまま、ゆっくりと立ち上がる。その指先が机を撫でると、鉄板が黒鉱へと変質し、ざらついた光を放った。隊士たちの目が驚愕に揺れた瞬間、彼女は軽く指を鳴らして鉱物を粉砕する。

「……力を誇示しなければ、眼差しすら揺らぐ」

 その言葉に、隊士のひとりが恐怖に喉を鳴らした。彼女の片眼が淡く光り、一瞬だけ精神衝撃が放たれる。隊士は頭を抱え、短い悲鳴を噛み殺した。

「まだ弱いな」

 カニヴァルスは冷笑を浮かべ、再び椅子に腰を下ろした。

「次、ギアホールドだ」

「はい。アイアンキングが〈小型融合炉〉の再起動準備を進めています。兵士の改造を急増させ、廃棄兵装の修理も急ピッチ。戦力増強は時間の問題です」

「……兵力の増強か。急激な拡大は組織の軋轢を生む。鉄の王の“目”は力のせいで濁り始めている」

 指令室の照明がまた明滅し、壁に映る影が大きく揺れた。

「外部からの物資流入は港と旧高速道路経由のみ。燃料は不足し、電力供給も不安定です」

「いい。監視網は維持。ただしスパイ網は二倍に拡張しろ。人員は中層から徴用、必要なら港湾労働者からも引き抜け」

 命令は迷いなく放たれ、二人の隊士は頭を垂れて立ち去った。 鉄扉が閉じる音が響くと、外では住民たちが膝を折り、通り過ぎる灰色のマントに小声で「誇り」の言葉を捧げていた。
 だがその裏で、彼らが「供物」となる未来を知る者は少ない。

 カニヴァルスは左目を閉じた。脳裏に焼き付くのは、かつてドミネーターと総帥の座を争った夜。照明の下で渦巻く歓声、血に濁る空気。右目を裂かれ、視界が真紅に染まった瞬間。組織の魂すら奪われた屈辱。骨の芯で燃え続ける怒りは今も消えない。

 やがて夜霧が街を覆い、屋上に影が現れた。 フード付きの外套に包まれた異形――オラトリオ。
 青い肌に走る幾何学的な紋様、胸の赤い三叉の印。姿は風と霧に溶け、幻のように揺らいでいた。

「……貴様か。オラトリオ」

「あなたに会いに来た。かつて群星の中で最も鋭い刃を持っていた女に」

「……ほう、過去を嗅ぎ回って何になる」

「時は流れ、刃は錆びる。だが錆の下にまだ輝きがあるか、それを確かめに来た」

 遠方の空が赤く染まり、爆音は届かぬまま、戦火の閃光だけが霧を裂いた。

「……今の[スペリオルズ]はかつての理想と違う。いずれドミネーターによる独裁体制が綻びを生む」

「嵐は二つの力をもがせた後に来る。その嵐は鎖を断ち切る風か、全てを呑み込む波にもなる」

 カニヴァルスの片眼が細められ、灰色の光が走る。次の瞬間、破壊光線が霧を切り裂き、屋上の一角を焼き払った。火花と煙が散り、羽虫の群れが光に驚き散開する。
 しかし、オラトリオは微動だにしない。赤い紋章の胸を指でなぞり、言葉を続けた。

「……嵐を待つだけの者は、最初の一撃で沈むだけだ」

「ならば沈まぬ者となれ。波を乗りこなす者に」

 霧が濃くなり、二人の間に冷たい火花が走った。遠方の閃光がまた夜空を赤黒く染め、地鳴りのような振動が足元を揺らした。

「……行け。次は私が用のある時まで近づくな」

 オラトリオは言葉を残さず、霧に溶けて消えた。
 カニヴァルスは港を見下ろす。波力ユニットの灯りが監視塔をかすかに照らし、老朽船の影が揺れる。羽音が夜気に混じり、黒い影が血の匂いを探すように漂った。
 彼女は無線を取り上げ、冷徹に命じる。

「ワイルドシングは薬切れで力を失いかけている。ギアホールドは力を研いでいる。……動くのは両方が削れた後だ」

 その時、窓際で小さな動き。異形の住民の一人が、外部へ合図を送ろうとしていた。
 カニヴァルスの左目が閃き、わずかな光が走る。
 次の瞬間、裏切り者の頭部が焼き裂かれ、静寂の中に煙だけが残った。

「監視拠点は増設。狙撃班は廃墟ビルに配置、暗殺班は地下鉄跡に潜伏。港湾封鎖は強化、裏切り者は即処分」

 部屋に漂う焦げ臭さに、部下たちは息を殺す。だが誰も疑問を挟まない。彼女の声こそが生存を保証する支配だった。

「補給は密輸と略奪で確保。燃料は発電施設へ優先的に回せ。原子炉は非常時のみ稼働」

 無線の向こうから複数の声が応答する。港湾労働者、異形の住民、隊士たち。皆が震える声で従順を示した。
 その時、内陸方向に雷鳴のような閃光が走る。雲が赤黒く染まり、夜空を裂いた。
 カニヴァルスは片眼を細め、闇を凝視する。

「……嵐の匂いがする」

 赤色のマントが裂け、純白の翼が展開する。
 汚染された海の潮風を顔で受け、彼女は目を閉じる。次の瞬間、鋭く左目を見開き、空中へ飛び込んだ。翼が風を切り裂き、彼女の影は夜に溶けていった。
 ただ虫の羽音だけが空気の奥底に残り、観測を続けているかのように響いていた。

 湿った風が吹き抜ける廃墟の路地裏。そこを駆け抜ける影があった。少年少女数人を守るように、若い青年が必死に走っていた。
 その背後を追うのは、アッシュポイントの戦士たち。質の悪い薬で強化され、瞳は濁り、口元には赤黒い血がこびりついている。彼らが何を喰らってきたのか、想像するのは容易だった。

「逃がすな……肉だ……まだ足りねぇ……!」

 獣じみた咆哮が、夜気を震わせる。
 青年は振り返り、咄嗟に力を解き放った。

 殴った空間の前に亀裂のような線が走り、夜気そのものが砕けるように空間が軋む。

「……ッ!」

 ひび割れた虚空が一瞬だけ戦士の進路を歪ませ、その巨体は壁に叩きつけられた。
 しかし、それはほんの一瞬の奇跡にすぎなかった。
 亀裂はすぐに消え去り、青年の体を激しい反動が襲う。視界が揺らぎ、鼻血が滴る。
 それでも彼の瞳は、ただ恐怖に怯えるものではなかった。空間の歪みの残滓を追うように、何かを“見極める”眼差しを残していた。

「くそっ……これ以上は……!」

 足が震え、力は制御できずに霧散していく。
 子どもたちが怯え、泣き声を上げる中、青年はそれでも両腕を広げて彼らを守ろうとした。

 その時――。

 漆黒の夜空を切り裂く閃光が走る。
 破壊光線。上空から降り注ぐそれは石畳を抉り、戦士たちの足を止めた。立ち込める焦げ臭と煙の中、影がゆるやかに降下する。大きな翼を広げ、獣の群れを威圧するように。

「て、てめぇは……!」

 戦士たちが怯え、薬に濁った理性の底からなおも突撃する。
 次の瞬間、空気が震えた。
 世界が歪む。理解するより早く、戦士たちの首が弾け飛んだ。血飛沫は音もなく吸い込まれるように消え、地に転がったのは無残な骸だけ。
 青年はその光景に息を呑み、子どもたちを庇うように身を震わせた。
 だが、降り立った女はただ静かに彼を見下ろしていた。
 その身体は薄汚れた布切れに覆われていたが、袖口から覗く小片の護符には、古めかしい符号の刻印が走っていた。流浪者にしては妙に整った印。 そして、その瞳は怯えながらも周囲を測り取るように動き、目に映るすべてを焼き付けようとしていた。

「……いい眼をしている。ただの逃げる者の眼じゃない。物事を測る眼だ。その眼を曇らせるな」

 その声音は、力強くも優しい。不思議と胸の奥に届く響きだった。
 青年は戸惑いながらも、その言葉に抗えなかった。子どもたちが震える背中を押し、カニヴァルスの影に身を寄せる。
 その瞳は恐怖に濁っていながらも、周囲を測るように動いていた。まるで出来事すべてを心に刻みつけるかのように。
 青年は深く息を吸い、彼女の視線を受け止めるように頷いた。
 カニヴァルスは片眼を細める。説明はつかない。だが、この青年はただの流浪者ではない――そう直感していた。敗者を拾うのはクロウズネストの常だが、この眼だけは違う役割を背負っている、と。

「……俺にできることがあるなら」

 その瞬間、敗者の群れに新たな隊士が加わった。

【<λ7f//cn+8dT§=…】

コメント

タイトルとURLをコピーしました