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砂漠の夜。ラスベガス・シティのドームは、砂丘の海に浮かぶ光の結晶のように遠くからでも輝いていた。
透明な外壁の内側では空調が流れ、外界の乾いた冷気を遮断する。街中ではネオンとホログラム広告が夜空を覆い、昼のような明るさに包まれていた。
笑い声と音楽、香水の甘い香り──その熱気の底に、微かに羽音が混じる。小さな黒い影が舞い、砂漠から流れ込んでくる冷風と共に街へ漂い込んでいた。
巨大スクリーンが映像を切り替える。
≪マフィア幹部連続暗殺、権力空白による混乱拡大≫
画面の下では観光案内とショーの宣伝が滞りなく流れ、歓声と喧騒は途切れない。私はその表層と、底に沈む静寂を同時に観測していた。
高級クラブの奥、低く響くベース音と光の粒子が舞う空間。 サミュエル・シーラ・シャレヴは、黒いスーツを滑らかに着こなし、白いシャツと黒のネクタイで無駄のない輪郭を作っていた。アイビーカットの髪は一筋も乱れず、青い瞳は柔らかな微笑みの奥で冷静に相手を観察している。
男女を問わず、彼に惹きつけられた人々が近づく。肩を寄せ、耳元で何かを囁く者、腰に手を回す者。シャレヴは同性にも異性にも自然に距離を詰め、違和感を与えない。だが、誰といても本音は決して預けない。
(──誰といても、明日には消える。それが自分の選んだ形だ)
それは意識的ではなく、いつからか関係は一夜で終わるものだと自分に言い聞かせるようになった。翌日には連絡も取らない。名残を残さないことが、傷つかないための習慣になっていた。
壁の巨大スクリーンがニュースに切り替わる。
≪マフィア幹部連続暗殺、権力空白による混乱拡大≫
シャレヴはステップを崩さず、視線だけをそちらへ向け、笑みをほんのわずかに引き締めた。
ポケットの端末が震える。【[統律特命局]:緊急集合】。
彼は軽く片手を挙げて周囲に別れを告げ、ためらいなくフロアを離れた。
高級ホテルの一室。ハナン・ハーフィズは、刈り上げのアシンメトリーヘアが強調する横顔で、ホログラム端末を操作していた。深い褐色の瞳が淡い光を受けて揺れる。 画面には、遠く離れた街の恋人の姿。同性の彼女は柔らかな笑みを浮かべ、声は穏やかで耳に心地よい。
「あなたの温もり、画面越しじゃ足りないわ」
口にした瞬間、喉の奥が詰まりそうになる。本当は「あなたがいないと無理」と言いたかった。それでも言葉を飲み込むのは、壊したくないものがそこにあるからだ。
恋人は「もうすぐ会える」と答えるが、その“もうすぐ”がどれほど先のことなのか、互いにわかっていた。沈黙の中で画面越しに目を見つめ合う。 通信が切れる直前、彼女の瞳がかすかに翳った。ハナンは問い返す間もなく、接続は途絶えた。
(言葉より温もりが欲しい。だが、それを求めれば壊れてしまう)
端末が震え、【集合指令】の文字が浮かぶ。深く息を吐き、ジャケットを肩にかけて部屋を出た。
煌びやかなショッピングモールの化粧品売り場。
ワサン・ウォンチャイは、黒いスーツと白いシャツを完璧に着こなし、結い上げたマンバンヘアの艶を照明に光らせていた。健康的な小麦色の肌は滑らかで、スタッフがスキャナを当てて「理想的です」と感嘆する。
「この肌、完璧でしょ?」
笑みを浮かべ、試供品の香りを確かめる仕草も絵のように整っている。
現在の恋人とは微妙な関係だ。同性で外見も生活も理想に近いが、完全一致ではない。だからこそ、ワサンはその隙間を埋めるように、自分をより完璧に仕上げ続ける。恋人の前でも、誰の前でも、少しでも崩れた自分を見せたくなかった。
恋人の前ですら崩れを見せられない──その徹底こそが、彼にとっての美の証明だった。
ポケットの端末が短く震える。【集合指令】。
ワサンは鏡に映る自分を一瞥し、香水をひと吹きして歩き出した。
ラスベガス・シティ外縁部。支部は喧騒から隔絶され、砂漠の夜風が冷たい空気を運んでいる。 先に着いたシャレヴがロビーのソファに腰掛け、脚を組んでいた。やがてハナンが現れ、彼と視線を交わす。
「あら? また派手に遊んでた?」
「まあね。仕事の合間の息抜きってヤツさ」
ハナンは手慣れたようにコーヒーを紙コップに注ぐ。軽くシャレヴに視線を置くと、彼は頼むという仕草で返答した。
「彼女は元気?」
「ええ。元気よ。私が心配するぐらいにね」
笑顔で答えるハナンに一瞬だけ暗い影が落ちた。
「お待たせ~!」
香りをまとったワサンが入ってくる。
「遅れてごめん、肌のコンディションは完璧よ」
両手に袋いっぱいの荷物を置き、ハナンからコーヒーを受け取る。
「ありがとう」
ワサンは短く礼を言い、すぐに化粧品を取り出して二人に手渡す。
こうして冗談も真顔も自然に混じるのは、互いの性的指向の違いを理解し、同じ側に立つ者として受け入れてきたからだ。
ラスベガス・シティ支部。地下階層にあるブリーフィングルームは、音を吸う黒で統一されている。四方の壁に埋め込まれたスリットが淡い光を吐き、中央の卓上にホログラム投影機が埋設されていた。
ジェフリーが像として現れる。実体のない人物は、実体のある沈黙を整える。

「到着、ご苦労」
声は端的だが、むやみに冷たくない。銀色のコインが彼の指先で静かに回転していた。その規則的な輝きが、沈黙の中にリズムを刻んでいた。
スクリーンに地図が開く。旧パース・シティを中心に、赤い警告域が渦を巻く。
「目的地はオーストラリア西部──旧パース・シティ外郭。現地の施設で小型融合炉が異常挙動を示している。アウトサイダーズ勢力の干渉が疑われる。被覆は剥がれかけているが、まだ死んではいない」
シャレヴが肘を卓に置く。
「“閉じ込め”か“鎮め”か。どっち寄り?」
「まず鎮める。閉じ込めは次だ」
ジェフリーは言葉を区切り、別の窓を立ち上げる。
「技術説明は彼女から」
投影機がもう一段階明るくなる。紫がかったベリーショート、陰影を吸わない瞳。トーキョー・シティからの接続──ミーラ・マリク。
「ミーラでいい。状況は簡単。炉心は不安定化の初期。臨界には遠いが、パラメータのゆらぎが外部入力の波形に似ている。つまり、誰かが叩いている」
彼女の背後で、ガラス壁越しの都市が昼に輝いている。
「波形は規則的。誰かがこちらを覗き込んでいる……観測されているようにね」
ミーラの説明に淀みがなく感情もない機械的な説明。
「止め方は三段階。第一に、制御棒群の仮想値を手動で再定義。自動制御は切る。第二に、冷却系統の迂回路を強制的に開く。これは現地の物理バルブ操作と、私の側の同期で行う。第三に、外部からのノイズを切る──これはあなたたちの仕事」
ハナンが顎を引く。「ノイズ源の形は?」
「人か装置か。《擬態》も《憑依》もあり得る。あなたのプロトコルとは衝突する可能性があるから、優先度は私側を高くして。検知の閾値を渡す」
「了解。私は“離れる”時間を短くする」
ハナンの声は穏やかだが、決断の角度がはっきりしている。
ワサンは投影の色温度に目を細める。
「現地の照明は私に権限を。人の顔色は嘘をつかない。カメラのホワイトバランスを崩せば、向こうのアルゴリズムも崩れる」
「権限を渡す」ジェフリーが即答する。
静かな地下にすら、どこかで羽音が残響していた。
シャレヴはホログラムの地図を人差し指で拡大した。
「相手は“姿を見せる”と思う?」
ミーラは短く笑わない。
「見せたと信じさせる方を選ぶ。あなたは余白を観察して」
ジェフリーが要点を束ねる。
「一次目的は“鎮める”。二次は“識別”。交戦は避ける。が、切断の判断は現場に委ねる。──最後に、アルファが近傍に控えている。任務が長引けば、彼らの作戦半径に引っかかる」
部屋の温度が一段下がったように、三人の視線が同じ場所で止まる。
「巻き添えは御免だわ」
ワサンが短く言い、コンソールに手のひらを載せた。
「速いのは嫌いじゃない」シャレヴが肩を回す。
「無駄を減らす」ハナンは目を閉じ、一呼吸で開く。
壁面のスクリーンにニュースが無音で流れている。
≪関係者の証言によれば、組織内部で長く燻っていた火種が……≫
シャレヴが卓上の光の縁を指でなぞる。
「この街は、燃えた跡が綺麗に見える作りだ」
「灰はファンデーションで隠せない」
ワサンは無表情で返す。
ハナンはホログラムの向こう側──東京の白い光へ一瞬だけ視線を送る。
「私は遠隔でホールドする。現地の判断を妨げない。必要なときだけ出る」
ミーラが締める。
ジェフリーの像が頷く。
「以上。発つ」
移動用のエレベーターが無音で落ちていく。
「急がないと、別の舞台監督が幕を引く」シャレヴが片手に手袋をはめる。
「観客に背を向けるのは美しくない」ワサンが鏡面の壁を見つめる。
「幕は必ず下りる。なら、台詞は短く」ハナンが締める。
ハンガーには、ベータチームVTOL専用輸送機〈シルエット〉が待っていた。 漆黒の機体は砂漠の夜と溶け合い、AIが自動で最適化した滑らかな曲線が外殻を覆っている。
ランプの光に濡れたその姿は、存在を消すこと自体が目的であるかのようだった。
ステルス性を徹底した外装と、静粛性を極限まで高めたエンジン音。
「また肌の話か?」シャレヴが小さく笑う。
「これは芸術よ」ワサンが肩をすくめる。
「美しさも虚しさも、同じ顔をしている」
ハナンの言葉は淡々としていたが、胸の奥は疼いていた。
三人は段差を上がり、固定席に腰を下ろす。
ラスベガスのネオンは、扉が閉まる直前まで彼らを照らしていた。
やがて砂漠の闇が広がり、〈シルエット〉は低い唸りと共に浮かび上がる。遠ざかる街の灯りは、祝祭の残響のように揺れていた。
エンジンが低く起き、機体が持ち上がる。街の光は遠ざかり、砂漠の闇が広がる。モニターの一角で、旧パース・シティの外郭に描かれた危険域が赤く脈打つ。
窓の外では、遠くの地平に黒煙が立ち昇っていた。別の戦場が呼吸しているのだ。
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