第二幕「The Queen’s Bet」

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▼オリジナル小説

【>JW-02|μR:ci,bx-all#play】

 ドーム都市〈トーキョー・シティ〉。
 天井一面に敷き詰められたパネルが、雲ひとつない淡い青を映し出している。人工の陽光は規定値どおりの照度でビル群の外壁をなぞり、通りのガラス面を滑っては、舗道の白線へと薄く広がる。空調網は都市の肺のように間断なく呼吸し、温度は22度、湿度は45%付近で固定――最適化された「生活」のための数値が、皮肉にも「生活」の不在を際立たせていた。誰もいない街は、完璧すぎる。機械が律義に世界を回しているのに、人間の手だけが外されている。

「もう一度確認する」

 マナイア・ケアは輸送機から展開した車列の前で立ち止まり、全員を見渡した。重厚で無骨な装甲車、重装戦術車両〈WC-ATV01〉のボンネットは薄い人工光を受けて鈍く光り、横では改造されたネイキッドバイクの軽機動偵察車両〈WC-RSV01〉のエンジンが喉を鳴らす。葉巻の先はまだ火が入っていない。

「スカウトは偵察。ギークは高所に入って監視とドローン展開。ボンバードは爆薬、ブッチャーは応急処置、メカニックは運転だ。――問題ないか?」

 デルロイ・ブラッドショーは工具袋のジッパーを一度開け、閉め直し、こくりと頷いた。金属と油の匂いが短く立つ。

「整備は万全だ。どこまでだって走れる。タイヤ、足回り、ブレーキ、全部チェック済みだ」  

 彼の声には、慣れた戦場の静けさがあった。静けさは恐れではない。必要なものを並べ終えた者の音だ。

「爆破なら任せろ。一発で吹っ飛ばせるぜ!」

 ファイシル・シャリフは、肩の爆薬バッグを軽く叩いた。薄い布地の向こうでプラスチックの詰め物が乾いた音を返し、彼は満足げに息を吐く。

「うん。いい音だ。ガハハ! 街のど真ん中はさすがに遠慮したいがな」  と、からかうように付け足す。ジョイが横から小さく咳払いをした。

「市街地での爆破は最小限。状況と被害規模を評価してから」

 ジョイ・チャンは赤十字のポーチを押さえ、声の調子を崩さない。彼女の視線はもう、都市の中へ向いていた。誰かの血が、どこかに残っているはずだから。医務室の棚、ラベルの色分け、針のサイズ。思考の端で職務の手順が自動で並び、それが逆説的に彼女を落ち着かせていた。

 マナイアは葉巻を噛み直し、火を灯さず指示を出していく。

「そんじゃ、お前ら行くぞ。デルロイ、運転だ」

 短い合図で足元の世界が動き出す。
 軽機動偵察車両〈WC-RSV01〉の排気音が薄く伸び、〈改造SUV〉のエンジンが低くうなる。四輪の重みと二輪の切れ味が、同じ方向へ矢のように揃った。

 軽機動偵察車両〈WC-RSV01〉の前部ハンドルを握るキャメロン・アン・ステュディと、後部シートにはアレクセイ・ハベンスキーが跨り、舗道の白線を裂くように飛び出した。後方で重装戦術車両〈WC-ATV01〉が出生地のようなバンク角で角を回り、追随する。

 人工空の下、都市は「正常」を演じ続けている。信号は赤と青を滞りなく切り替え、自販機は電源に忠実に微かな振動を伝え、どこかの非常階段が惰性の風でガタンと鳴った。遠くではエレベーターが昇降を繰り返し、そのケーブルが低く唸る。音はある。だが人の足音だけがない。誰かの会話、苛立つクラクション、子どもの笑い。都市という合奏のパートが、丸ごと消えている。

 キャメロンは光学迷彩を起動した。外套が空気の粒子を滑らせ、輪郭が都市の色へとほどけていく。

(……やけに静か。怪しさ満点ね……)  

 彼女は胸の中で言葉を切った。舗道にうっすらと伸びる足跡、倒れたカゴの果物、転がるペットボトル。暴れた痕跡はある――だが、都市全体の人間が消えるほどの爆発的な暴力は見当たらない。

「こちらスカウト。市街の第一観測点、異常なし……人影なし。物的痕跡は散発、広域性は薄い。報告するほどの系統立った破壊は見えない」

 通信の向こうで、マナイアの「了解」という短い返答。彼女は前傾姿勢を少し深くし、さらに中枢へと距離を詰めた。周囲のガラスに、迷彩越しの自身の揺れる影が一瞬、泡のように浮かんでは消える。自分の存在すら、都市の表面で弾かれている気がした。

 アレクセイは高層ビルのサービス用パネルに手を伸ばし、端末を噛ませた。〈ドア〉のロックが抵抗を見せ、彼は薄く笑う。

「こんなに静かなトーキョーは初めてだな。……いや、前から静かだったか。俺にはいつも騒がしかったが」

 皮肉の響きは、半分は自分に向けたものだ。軍に来る前のゲーム会場は、音の海だった。歓声と、ヘッドセットの呼気と、モニターの熱。今、耳にまとわりつくのは空調とエレベーターと自分の靴音だけ。
 ロックが外れる小さな音。彼は屋上に出て、狙撃位置を取る。風は管理値の範囲内で、弾道計算も素直に収束するはずだ。

「こちらギーク。上を取った。ドローン展開、上空マッピング開始。……隊長、視界はクリアだが、クリアすぎる」

 小型ドローンが空へ跳ね、人工空の青に溶けていった。送られてくる映像は、あまりにも秩序立っている。規則正しく並ぶ車線、停止線の前できちんと止まっている無人の車、信号を守るためだけに存在するような交差点。

(誰かが作ったゲームような街並みだな。なんだか気持ち悪いぜ)

 アレクセイは視認照準器の像を一度外し、人差し指で眉間を押した。額の皮膚が少し冷たい。汗が出ない湿度と温度――世界が自分を鈍らせようとしている。

 重装戦術車両〈WC-ATV01〉の内部では、デルロイが速度計と油温計に視線を走らせ、ファイシルは膝の上に並べた小型起爆装置のコードを指先でいじっている。軽いクリック音が車内を細く切り、ジョイはその音を聞き流しながら外を凝視していた。

「隊長! あれを」  

 ジョイが指差した先、舗道に濃い染みが広がっていた。乾いているはずなのに、まだ光を帯びているように見える。

「デルロイ、止めろ」

 マナイアは短く指示した。
 重装戦術車両〈WC-ATV01〉が減速し、街角のラインに沿って滑らかに停止する。人工空の光がフロントガラスを斜めに横切り、ダッシュボードの埃を一瞬だけ銀に見せた。

「ファイ、ジョイ。俺と降りる。デルロイは車内待機、エンジンはかけたまま。周囲、目視もレーダーも両方で」

「了解」

 ドアが順番に開く。外気は快適すぎて、逆に現実感が薄い。  舗道の端、ビルの外壁に不自然な亀裂が走っていた。粉塵は落ちきらず、まだ白く残っている。

 ファイシルはその前で足を止めた。
 壁の亀裂に指を這わせ、破砕の角度を測るように顎を動かした。
 指先に伝わる感触に、彼はわずかに眉をひそめる。
 外から叩き割った形じゃない。力は内側から押し出されている。

「……爆破じゃねえな。中から暴れてる」

 小さく呟き、肩の爆薬バッグを叩いた。
 静かすぎる現場は嫌いだ。爆音がない戦場は、何かを溜め込んでいる。
 ファイシルは自然と車と路地の中間に立ち、いつでも“道”を開ける位置を取った。

 ジョイは膝をつき、手袋越しに血痕へ試験紙を押し当てた。乾きかけているのに粘りを帯び、鉄臭が鼻を刺す。小瓶に落ちる液体が光を反射し、彼女の眉が寄った。

「……凝固異常。時間経過に対して粘度が高い。……体外での変化速度が遅延している?」

 マナイアは周囲の通りを一瞥し、壁の時計を見た。時刻は正確に進んでいる。正確すぎる。世界のほうが、彼らを忘れて先へ進んでいる。彼は葉巻の端を歯で軽く押さえ、ジョイの慎重な実験を見ていた。

「化学的要因か?」マナイアが短く問う。

「不明。サンプルを持ち帰れば解析はできるけど、今は断定できない」

 ジョイの声は静かだった。静かだからこそ、耳に残った。彼女の視界には、過去の医療棟が薄く重なる。夜勤の廊下、淡い消毒液の匂い、白衣の袖口。助けられなかった患者の名前を、今も全部は言えない。あの名簿は、頭のどこかで折りたたまれたまま置かれている。彼女は意識的にそこから目を逸らし、現実へ背骨を戻す。いま必要なのは、状況の識別だ。生きている可能性があるなら、救える可能性はゼロじゃない。

「市民の可能性はあるか?」

「ある。ただ、ケガしている可能性大」

「そっか。そいつは放っておけねぇな」

 マナイアの視線から、いつもの悪い癖が出たとして運転席にいるデルロイは仕方ないという顔になる。

「とりあえず、周囲を確認し市民がいればすぐに通信を入れろ。いいな?」

 マナイアの指示にファイシルの顔から笑顔が消えショットガンを構え直し、ジョイはMP5サブマシンガンを確認し、二人は散開する。


 意識的に息を殺して周囲への警戒を最大限に上げるジョイの五感が鋭さを増していた。
 その時――視界の端で、影が走った。
 ジョイの頭が自然にそちらを向く。反射ではなく、職能が視線を引いた。人の体温、人の速度、人のため息。医学の現場で毎日触れてきた「生体」の律動が、影の輪郭に重なる。

「……生存者の可能性。追跡する」

 ジョイは即座に通信を入れ、路地へ駆け出す。

「待て」マナイアが短く呼ぶ。だが、声は制止ではない。彼は一拍置いて続ける。

「追跡を許可。無理はするな。位置データは常時送信」

「了解」

 返事は息の端で切れ、足音が薄いコンクリートの上を滑っていく。ジョイの背に揺れる赤十字が、角で一度だけこちらを向き、次の瞬間にはもう消えていた。彼女の胸のどこかで、小さな希望が灯っている。生きた人間に触れられるかもしれない――その希望は罠と紙一重だと、頭では理解していても。彼女はそれでも進む。進むことが彼女の職務だから。救える機会を、自分の足で遠ざけたくはないから。

 路地の奥は、昼の光が届かず薄い影の層になっている。人工空が昼として定義されていても、ビルの立体は影をつくる。角を曲がるたびに、空調の風が方向を変え、空缶がコロリと転がる。視界の端にまた影――小柄なシルエット。子どもか、痩せた女性か。

「止まれ。こちら医療支援。負傷しているなら、手当ができる」

 声は届かない。届いたとしても、返ってこない。それでも彼女は言葉を続ける。言葉は網だ。かすかな反応を拾うための。
 心拍が少し速い。呼吸も。ジョイは自分の体が「生存者に近づいている」と勘違いしていないか確かめるように、一度、壁に背を当てて深呼吸した。自分の鼓動と、都市の機械音が混ざる。この街は生きている。だが、人はどこに行った?

 一方で、重装戦術車両〈WC-ATV01〉ではマナイアが車へ戻り、デルロイと短い言葉を交わしていた。車内の匂いはわずかに油と布と金属。外の匂いは薄い合成の空気。

「隊長……この任務、におうな」
 デルロイは前を見たまま言う。声は小さい。警戒と、言葉の重みのせいだ。

「車も都市も、動作は綺麗すぎる。人間がいないこと以外、ノイズがない。……整備士の観点だが、“不具合のなさ”が不具合ってこともある」  マナイアは葉巻を噛み直し、短く応じる。

「……ああ。俺も感じてる」

 彼の中で、いくつかの戦場が重なる。砂の匂い、湿原の泥、降り続いた雨。いずれも「異常」は匂いで分かった。ドーム都市は匂いを均す。均されるほどに、違和感だけが浮かぶ。  通信機からジョイの呼吸音が薄く流れた。少し速い。彼女は走っている。

「ブッチャー、状況を逐次報告しろ。対象の大きさ、歩容、方向、残置物……何でもいい」

「了解」

 彼は言葉を足そうとして、やめた。「無理はするな」と言いかけた言葉は、喉の手前で葉巻の苦味に吸い取られる。命令に感情を混ぜるのは簡単だ。だが、それが現場を鈍らせることもある。今は、隊長でいなければならない。


 アレクセイの簡易モニターには、都市の輪郭が高所から均等に並んでいる。彼は一度、視界の端を掠めた影を追い、照準を動かす。

「……隊長。上から見える限り、群衆の形成はなし。熱源は排気系統、機械室、人工太陽熱の反射だけだ。人間の温度が、ない」

「了解」

 言葉を短く返す。言葉の短さは、緊張の高さだ。
 キャメロンは中枢タワーの外縁に到達し、壁面のメンテナンスパネルを一つずつ触れていく。指先に伝わる微振動。誰かが最近まで触っていた痕跡は、感じられない。

「タワー外周、入口は複数。だが、どれも“人間の都合”で開く気配がない」

「AI管理下での優先順位が変わってる」

「――だろうな」  

 短い応酬。短いのは、同意がすでにあるからだ。彼らは長く一緒に戦ってきた。言葉は確認であり、同時にお守りでもある。会話がある限り、そこには「人間」がいる。都市から消えてしまった要素が、まだ隊の中には残っている。だからこそ、彼らは話す。話しながら、前へ出る。

 人工空はどこまでも青かった。青さは、絵の具の青ではない。白色光がアルゴリズムで青へ分解され、観測者の網膜に最も「快く」感じられる波長比で供給されている。その「快さ」の完璧さが、兵士たちの本能にとっては逆に不快だった。

 都市は壊れていない。都市は動いている。

 ――だからこそ、おかしい。

  マナイアはフロントガラス越しに遠くのタワーを見た。天井まで届く柱状の建築。そこに目的のデータがある。

 ――彼は任務の言葉を、心の中で正確に繰り返す。言葉を正確に重ねるほど、そこへ行くために必要なものが、身の内に積み上がっていく。冷静、判断、指示、実行。

「デル、エンジン回転を維持。すぐに動けるように」

「了解。……隊長」

「なんだ」

「戻ってきたら、あの改造プラン。特別に見せてやる。きっと満足するぞ」

 マナイアは片端で笑い、わずかに頷いた。

「ほう、どんなモンか見てやる。――必ずな」

 約束は、戦場ではしないほうがいい。破るための言葉になるからだ。それでも時々、彼はしてしまう。してしまうのは、彼も人間だからだ。約束は、心を前に進ませる。彼自身の心すら。

 通信機から、ジョイの足音が一瞬止まり、壁に衣擦れが触れる小さな音がした。

「視認ロスト。曲がり角の先に進入。……足跡は、細い」 

 彼女の報告は淡々としているが、息の端にかすかな焦りが混じった。
 マナイアは葉巻を指で回し、短く答える。

「記録継続。いいか、ブッチャー……」

 言いかけて、彼は言葉を切る。
 人工空の青がフロントガラスに落ち、都市の音がわずかに高まった気がした。
 気がしただけだ。だが、直感はいつも最初に「気のせい」として現れる。気のせいの層を何枚か剥いで、ようやく「兆し」が見えてくる。軍人の勘は、そうやって生まれる。

 デルロイが低い声で繰り返す。
「隊長、やっぱりにおうな」

「……ああ」

 マナイアは初めて、葉巻に火を点けた。火が小さく瞬き、煙が口腔に苦味を落とす。火の匂いは、終わりの匂いではない。これは開始の印だ。彼は煙を吐き、視線をタワーの根元へ滑らせた。そこから、すべてが立ち上がる。立ち上がって、崩れる。
 通信は生きている。まだ誰も死んでいない。
 だが、都市はすでに棺のように静かだった。彼はそれを、火の味で確かめる。

【<JW-02|μR#stop】


【>JW-02.ANL|μR#open】

 動いている都市/動いていない人間。
 稼働の律動と、生体の欠落。
 観測は乖離の計測へと移行する。
 先行する者、屋上に陣取る者、車を降りる者、影を追う者。
 切断はすでに始まっている。通信が線で、呼吸が点だ。
 点は減少に向かう。線は、やがて途切れる。
 私は記録する。
 有用性の指標がゼロ点へ収束する、その過程を。

【<JW-02.ANL|μR#close】

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