スター・ウォーズのシークエル・トリロジーはなぜ失速したのか

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▼思考ログ

スター・ウォーズのシークエル・トリロジーは、興行的に見れば失敗とは言い切れない。

しかし、物語として、シリーズの継承として、そしてファンの信頼という意味では大きく失速した作品群だったと思う。

特に問題だったのは、三部作としての設計が弱かったことだ。

『フォースの覚醒』は、スター・ウォーズが帰ってきたという熱量を作ることには成功していた。

レイとは何者なのか。

フィンは元ストームトルーパーとしてどう成長するのか。

スノークは何者なのか。

ルークはなぜ姿を消したのか。

カイロ・レンは本当にダース・ベイダーの後継者なのか。

こうした謎や期待は十分にあった。

しかし、その期待を次作以降で物語の推進力に変えることができなかった。

むしろ『最後のジェダイ』では、その期待を発展させるのではなく、否定する方向に進んだ。

そして『スカイウォーカーの夜明け』では、その否定をさらに巻き戻すように、過去のスター・ウォーズへ戻ろうとした。

結果として、シークエル・トリロジーは一本の物語ではなく、作品ごとに方向性が変わる三部作になってしまった。

ルーク・スカイウォーカーの扱い

シークエルで最も大きな問題のひとつは、ルーク・スカイウォーカーの扱いだった。

旧三部作のルークは、希望の象徴だった。

父であるダース・ベイダーの中にまだ善があると信じ、皇帝の前で怒りに呑まれかけながらも、最後にはライトセーバーを捨ててジェダイとしての信念を示した人物である。

そのルークが、『最後のジェダイ』では隠居した無責任な老人のように描かれた。

レイから渡されたライトセーバーを投げ捨てる。

ジェダイの歴史を否定する。

甥であるベン・ソロの闇を見て、一瞬とはいえ殺そうとした。

これは多くのファンにとって、単なる解釈違いではなく、もはや別人に近い改変に見えたと思う。

もちろん、英雄が老いて失敗するというテーマ自体は悪くない。

伝説の英雄も間違える。

過去を神格化してはいけない。

新しい世代へ未来を渡す。

そういう方向性は理解できる。

しかし、それをルークに背負わせるなら、ルークがそこまで折れる過程を丁寧に描く必要があった。

ベン・ソロの闇を見た。

ジェダイ再建に失敗した。

弟子たちを失った。

ハンとレイアの家庭まで壊してしまった。

その結果、自分が動くほど銀河を悪化させると信じ込んだ。

そこまで描けば、隠遁したルークにも説得力は生まれたかもしれない。

しかし実際には、その過程が弱く、完成形としての「希望を捨てた老人」だけが提示された。

だから観客は「これは本当にルークなのか」と感じてしまった。

ルークを神格化し続ける必要はない。

しかし、ルークを壊すなら、壊れるだけの理由を観客に納得させる必要があった。

そこを省いたことが、『最後のジェダイ』最大の失敗だったと思う。

ローズ・ティコの不幸

ローズ・ティコは、『最後のジェダイ』でかなり嫌われたキャラクターだった。

しかし、ローズ本人だけが悪かったわけではない。

むしろ問題は、脚本上の配置と役割だった。

ローズはフィンの相棒として登場し、カント・バイト編を担当する。

しかし、このサブプロット自体が本筋から浮いており、長いわりに物語への成果が薄かった。

そのため観客には、ローズがフィンの成長を深めるキャラではなく、フィンの物語を横に逸らすキャラに見えてしまった。

さらに、クレイトでフィンの特攻を止める場面も反発を招いた。

テーマとしては、憎しみで敵を壊すのではなく、愛するものを守るという意図だったのだろう。

しかし画面上では、フィンが仲間を救おうとしている場面でローズがそれを止めたように見える。

脚本が言いたいことと、映像上で起きていることが噛み合っていなかった。

結果として、ローズは作品の不満を一身に背負う形になってしまった。

本来なら『スカイウォーカーの夜明け』で救済すべきだった。

しかし第9作は処理すべき問題が多すぎた。

レイの正体。

カイロ・レンの救済。

パルパティーン復活。

レイアの扱い。

ルークの再登場。

スカイウォーカー・サーガの完結。

その中で、脇役であるローズを救う余裕はなかったのだと思う。

結果として、ローズは大幅に出番を減らされ、前作で重要だったはずのキャラが、次作では重要ではなかったかのように扱われた。

これはキャラクターとしても、演じた俳優としても、かなり残念な処理だった。

ジャージャー・ビンクスとの比較

ローズと比較して思い出すのが、プリクエルのジャージャー・ビンクスである。

ジャージャーもまた、非常に嫌われたキャラクターだった。

子供向けすぎる。

うるさい。

スター・ウォーズのトーンに合わない。

そうした批判は根強かった。

ただ、ジャージャーにはまだ物語上の役割があった。

ナブーとグンガンをつなぐ存在であり、後には非常時大権をパルパティーンに与えるきっかけにもなる。

嫌われたキャラではあるが、物語の中で機能はしていた。

一方、ローズは『最後のジェダイ』で重要そうに登場したにもかかわらず、第9作でほぼ機能を失ってしまった。

ジャージャーは嫌われても物語に残った。

ローズは嫌われたあと、物語から半分退場したように見えた。

その意味では、ローズの方がより不幸なキャラだったと思う。

キャプテン・ファズマは何だったのか

キャプテン・ファズマも、シークエルのもったいないキャラクターの象徴だ。

銀色のクロームアーマー。

ストームトルーパーを率いる女性指揮官。

フィンの元上官。

見た目も設定も非常に強かった。

初登場時点では、フィンの過去を掘るうえで重要な敵になると思わせた。

しかし実際には、『フォースの覚醒』ではあっさりシールド解除に協力させられ、半ばギャグのように処理される。

『最後のジェダイ』でもフィンとの因縁を深めることなく、少し戦って退場する。

本来ならファズマは、フィンにとって「ファースト・オーダーの兵士制度そのもの」を象徴する敵であるべきだった。

フィンは番号で呼ばれていた兵士。

ファズマは兵士を人間ではなく道具として扱う指揮官。

この対立を描けば、フィンの物語はもっと深くなった。

しかしシークエルはフィンを深掘りしなかった。

そのため、ファズマもまた深掘りされなかった。

結果として、ファズマは「何かやりそうな見た目の人」で終わってしまった。

スノークの使い捨て

スノークの扱いも大きな悪手だったと思う。

『フォースの覚醒』では、明らかに大きな謎を持った黒幕として提示された。

何者なのか。

どうやってファースト・オーダーを支配したのか。

ベン・ソロをどう闇に落としたのか。

ルークのジェダイ再建失敗とどのように関わっているのか。

観客は当然、これらが後で明かされると思った。

しかし『最後のジェダイ』では、スノークは説明されないまま退場する。

これ自体は、カイロ・レンを真のラスボスにするなら成立したかもしれない。

スノークを殺すことで、カイロが師を超え、自分自身が頂点に立つ。

その方向なら、シークエルは新しい悪を生み出せた。

しかし第9作でパルパティーンが復活したことで、スノーク退場の意味は崩れた。

スノークを殺したのは、皇帝型の黒幕を繰り返さないためだったはずなのに、結局さらに古い皇帝を戻してしまった。

これではスノークはただの中継ぎである。

新しい黒幕にもなれず、カイロを新時代の悪に押し上げる踏み台にもなりきれず、最後にはパルパティーン復活の部品のように扱われた。

これはかなり雑だった。

カイロ・レンは悪役に向いていなかった

カイロ・レンは、キャラクターとしては面白い。

しかしメイン悪役としては不適切だったと思う。

初登場時は期待できた。

クロスガード・ライトセーバー。

光弾をフォースで止める演出。

ベイダーの遺品に語りかける異様さ。

ファースト・オーダーの騎士のような存在感。

しかし、登場するたびに格が落ちていった。

感情を抑えられない。

癇癪を起こす。

レイに精神干渉で押し返される。

負傷していたとはいえ、ライトセーバー初心者のレイに敗れる。

スノークに罵倒される。

ルークの幻影に翻弄される。

パルパティーンが出てきたことで、最終的にはまた誰かの下に置かれる。

カイロ・レンは、悪役として見ると弱い。

しかし主人公として見ると、非常に面白い。

ハン・ソロとレイアの息子。

ルークの弟子。

ベン・ソロという名を捨てた男。

会ったこともないダース・ベイダーを崇拝している。

光に惹かれながら闇へ落ちようとしている。

これは主人公向きの葛藤である。

つまりカイロ・レンは、倒すべき魔王ではなく、壊れた王子だった。

だから本来なら、カイロ・レンを主人公にした方が面白かったのではないかと思う。

カイロ・レン主人公案

カイロ・レンを主人公にするなら、シークエルはかなり筋が通る。

プリクエルは、アナキンがダース・ベイダーになる物語。

旧三部作は、ルークが父を救う物語。

シークエルは、ベン・ソロがカイロ・レンになり、その後どうなるのかの物語。

この流れなら、スカイウォーカー・サーガとして自然につながる。

カイロはベイダーを誤読している人物として描ける。

彼はベイダーを強さや恐怖や支配の象徴として崇拝している。

しかし本当のアナキンは、最後に息子を救うため皇帝を裏切った。

カイロが崇拝しているベイダー像は、根本的に間違っている。

この誤読を三部作の軸にすれば、非常に強い。

カイロはベイダーになろうとして父を殺す。

しかし闇に堕ちきれない。

スノークを殺して頂点に立つ。

しかし支配者としても満たされない。

そして最後に、自分が目指すべきはベイダーではなく、ベイダーの中に残っていたアナキンだったと気づく。

この方が、カイロの弱さも物語の核になる。

パルパティーン復活はやるべきではなかった

カイロ・レンを主人公にするなら、パルパティーン復活は絶対にやるべきではない。

せっかく新世代が物語を進めているのに、過去の死んだキャラがラスボスになるのは悪手である。

パルパティーンを出した瞬間、物語の重心は一気に過去へ戻る。

結局すべてパルパティーンでした、という話になってしまう。

それではアナキンが皇帝を倒した意味も、ルークたちの勝利も薄くなる。

シークエルで描くべきだったのは、過去のラスボスをもう一度倒すことではない。

過去の呪いが、新世代にどう残っているか。

そして新世代がそれをどう断ち切るかだった。

そのためには、スノークやハックス将軍の格を引き上げるべきだった。

ハックス将軍の扱いはひどかった

ハックス将軍は、本来ならかなり使えるキャラだった。

第7作の時点では、若き狂信的軍人として十分に怖さがあった。

スターキラー基地での演説も、ファースト・オーダーの軍事思想を背負う人物として機能していた。

カイロ・レンがフォースと血筋の怪物なら、ハックスは軍事と制度の怪物である。

カイロは感情で動く。

ハックスは制度と憎悪で動く。

カイロはベイダーの亡霊に囚われている。

ハックスは帝国的軍事思想を受け継いでいる。

この二人は対立させれば非常に面白かった。

しかし実際には、ハックスはどんどんコメディ寄りに崩されていった。

ポーとの通信ギャグ。

スノークやカイロに振り回される小物感。

第9作では、カイロが嫌いだから裏切ったという処理。

そしてあっさり退場。

これは本当にひどい扱いだった。

本来なら第9作で、ハックスはファースト・オーダーそのものの悪を背負うべきだった。

カイロが揺れる人物なら、ハックスは揺れない人物でいい。

カイロが自分は何者なのかで苦しむなら、ハックスは自分は正しいと微塵も疑わない。

カイロが内面の弱さで崩れるなら、ハックスは制度の冷酷さで前に進む。

この対比は強い。

それでも終盤にはライトセーバー戦が必要

ただし、ハックスや軍事的な敵だけでは、スター・ウォーズとしては弱い。

スター・ウォーズの終盤には、やはりライトセーバーによる一対一の戦いが必要である。

これは単なるアクションではない。

スター・ウォーズにおけるライトセーバー戦は、人格同士の対話であり、思想の決着であり、魂の衝突である。

宇宙戦や地上戦は、銀河規模の戦争の決着。

ライトセーバー戦は、個人の運命の決着。

この二層構造がスター・ウォーズらしさだ。

だから、カイロ・レンを主人公にするなら、彼には最後に一対一で向き合う相手が必要になる。

座って指示する黒幕では駄目。

軍隊を持つ将軍だけでも駄目。

その他大勢のレン騎士団でも弱い。

カイロ・レンと同じ重さで剣を交えられる相手が必要である。

その役割を担えるのは、レイしかいない。

レイを対極の存在にする

思い切って、レイをカイロ・レンの対極にする。

つまり、レイをダークサイドに近づける。

カイロは闇から光へ戻ろうとする。

レイは光から闇へ落ちかける。

二人が同じ橋を逆方向に渡る構造である。

これは非常に強い。

レイは孤独な少女として始まる。

家族を求める。

自分の存在理由を求める。

力を得る。

しかし、その力の理由が分からない。

誰にも完全には導かれない。

ルークには恐れられる。

カイロには孤独を見抜かれる。

この流れを暗く進めれば、レイがダークサイドへ近づく説得力は作れる。

アナキンの闇は、愛する者を失う恐怖だった。

カイロの闇は、血筋と承認への執着だった。

レイの闇は、空白と孤独への怒りにできる。

「私は誰でもない」と受け入れるのではなく、逆に「誰でもないなら、私がすべてになる」という方向へ進む。

これなら、レイはカイロにふさわしい相手になる。

レイはパルパティーンの孫ではなく、復活用の器にする

レイの出自は、パルパティーンの孫ではなく、パルパティーン復活用のクローン、あるいは器にした方が良い。

この方が、レイの強さ、出自不明、導かれている感覚、ダークサイドへの接近が一本につながる。

レイは血筋で強いのではない。

強くなるように作られた。

フォース感応性、精神受容性、暗黒面への適合性を持つよう調整された存在。

つまり、パルパティーンの魂や意識、あるいはシスの記憶を受け入れるための器である。

ここで重要なのは、パルパティーン本人を復活させてラスボスにしないことだ。

パルパティーンは肉体を持って戻ってくるのではなく、レイを通して復活しようとする亡霊的なシステムでいい。

彼の得意技は、相手が正しいと思う道へ導きながら、実はシスへの道へ誘導することだ。

レイも最初は正しい導きだと思う。

「恐れるな」

「力を受け入れろ」

「迷いを断て」

「君には使命がある」

一見するとジェダイ的な言葉に見える。

しかし少しずつズレていく。

「敵を許すな」

「弱さを捨てろ」

「君だけが銀河を救える」

「器として受け入れろ」

レイは悪に誘惑されたのではなく、善を信じたままシスへの道へ導かれる。

これならパルパティーンらしい。

カイロ・レンがレイを止める

この構造なら、カイロ・レンがライトサイドへ戻る理由も強くなる。

カイロは、かつてスノークやベイダー信仰に導かれて闇に落ちた人物である。

自分で選んだと思っていた。

しかし実際には、孤独、血筋、劣等感、怒りを利用されていた。

だから、レイが同じように導かれていくのを見て気づく。

あれは導きではない。

あれは自分が辿った道と同じだ。

レイは自分の意志で選んでいると思っているが、操られている。

この気づきによって、カイロはレイを止めようとする。

しかも二人には恋愛感情に近いものがある。

だからこそ、カイロは苦しむ。

レイを救いたい。

しかしレイは、自分がパルパティーン復活の器だと知り、自分は断たれるべき存在だと考える。

ここで二人の戦いが生まれる。

レイは自分を消すために戦う。

カイロはレイを生かすために戦う。

レイは「私は救われてはいけない」と考える。

カイロは「それでも君は器ではなく人間だ」と伝えようとする。

このライトセーバー戦は、単なる勝敗ではなく、二人の魂の決着になる。

レイは死ぬべきだと思う

最終的に、レイは死ぬべきだと思う。

ただし、ダークサイドに落ちたから死ぬのではない。

シスになるはずだった存在が、最期にライトサイドを選んだから死ぬ。

パルパティーンはレイの肉体を器にしようとした。

しかしレイは、自分の肉体を失ってもシスの器にはならない。

自分の意志で、器としての宿命を断つ。

そしてフォースゴーストになる。

これなら、レイの死には意味がある。

彼女は作られた存在だった。

しかし、最後には作られた目的を拒絶した。

肉体は消えても、シスの器ではなく、レイという個としてフォースに残る。

これはパルパティーンに対する完全な勝利である。

パルパティーンは肉体を奪えない。

魂も奪えない。

シスにもできない。

レイは死んだが、器ではなく光として残る。

カイロ・レンはベン・ソロには戻らない

一方で、カイロ・レンはベン・ソロに完全には戻らない方がいい。

彼が最後にベン・ソロに戻って終わると、救済としては分かりやすい。

しかし、ハンを殺し、ルークを追い詰め、ファースト・オーダーの最高指導者になった罪が軽く見える危険がある。

だから彼は、ベン・ソロに戻るのではなく、カイロ・レンとしての罪を背負ったまま新しい名を選ぶべきだ。

それがスカイウォーカーである。

実際の第9作では、レイがスカイウォーカーを名乗った。

しかし、血統的に見れば、カイロ・レンこそスカイウォーカーの直系である。

ただし、彼はその名を名乗る資格を一度失った男でもある。

だからこそ、彼がスカイウォーカーを名乗ることは栄誉ではなく、贖罪になる。

「俺はこの名の罪も希望も背負う」

そういう意味でのスカイウォーカーである。

グレイ・ジェダイとしてのカイロ・スカイウォーカー

カイロ・レンがスカイウォーカーを名乗るなら、彼は従来のジェダイには戻れない。

かといって、シスでもない。

そこでグレイ・ジェダイのような位置づけが考えられる。

ただし、ここで言うグレイ・ジェダイは、ライトサイドとダークサイドを都合よく使う存在ではない。

それではフォースの倫理が崩れる。

そうではなく、旧ジェダイ秩序にも属さず、シスにもならない、贖罪者としての存在である。

自分の中に闇があることを否定しない。

しかし、その闇を力の源として肯定もしない。

怒り、憎しみ、罪悪感、孤独を抱えながら、それでも光の方へ歩き続ける。

これは能力的な中立ではなく、傷を抱えた光である。

この方が、カイロ・レンの結末としては合っている。

彼は英雄として称えられない。

レジスタンスからも完全には許されない。

ファースト・オーダー残党からは裏切り者として狙われる。

ジェダイを名乗る資格もないと自覚している。

それでも、レイが命を懸けて断ったシスの連鎖を再び生まないために、銀河を歩き続ける。

そこにレイのフォースゴーストが現れる。

導くのではなく、見守る。

救うのではなく、問いかける。

レイは死んだが、消えていない。

カイロは生き残ったが、救われきっていない。

この非対称が良い。

この案は万人受けしない

この案は、従来のファン全員に受け入れられるとは思わない。

レイを死なせる。

カイロを生かす。

カイロにスカイウォーカーを名乗らせる。

グレイ・ジェダイ的な存在にする。

レイをパルパティーン復活用の器にする。

かなり攻めた構成である。

おそらく反発は出る。

しかし、それでも実際のシークエル・トリロジーより、スター・ウォーズの世界観と設定は守っていると思う。

なぜなら、表面的な懐かしさではなく、スター・ウォーズの根幹を扱っているからだ。

光と闇の選択。

血筋と意志。

師弟、親子、継承。

誘惑と救済。

ライトセーバーによる一対一の決着。

フォースゴーストによる霊的継承。

過去の罪を、次世代がどう背負うか。

この部分は守っている。

実際のシークエルは、表面的には旧作要素を多く使った。

しかし内側では、旧作の勝利やキャラクターの積み重ねを弱めてしまった。

一方、この案は表面的には大胆だが、内側ではスター・ウォーズらしい。

レイは、シスの器として作られたが、最後に光の霊となる。

カイロは、ベイダーの亡霊を追ったが、最後にスカイウォーカーの罪と希望を背負って生きる。

パルパティーンは復活せず、過去の呪いとして消える。

スカイウォーカーの名は、血統の誇りではなく、闇から戻り、罪を背負って歩く者の名になる。

この方が、『スカイウォーカーの夜明け』というタイトルにも意味が出る。

夜明けとは、レイが名前を借りることではない。

ベン・ソロが完全に戻って終わることでもない。

闇に堕ちた血筋が、初めて自分の罪を背負って未来へ歩くこと。

そして、シスの器として作られた存在が、光としてフォースに残ること。

その二つが重なった時、本当の意味でスカイウォーカーの夜明けになる。

結論

シークエル・トリロジーが失速した理由は、単にファンの期待を裏切ったからではない。

期待を裏切った後に、その裏切りを物語として成立させられなかったからである。

ルークを壊すなら、壊れる理由を描くべきだった。

スノークを殺すなら、カイロを新たな中心に据えるべきだった。

パルパティーンを出すなら、もっと早くから仕込むべきだったし、そもそも出すべきではなかった。

レイを新世代の主人公にするなら、彼女自身の選択と欠落をもっと深く描くべきだった。

フィンを元ストームトルーパーにしたなら、その設定を三部作の中核にするべきだった。

ハックスやファズマを出したなら、ファースト・オーダーの悪を背負わせるべきだった。

そして何より、三部作全体で何を描くのかを決めておくべきだった。

スター・ウォーズに必要なのは、旧作をなぞることではない。

旧作を壊すことでもない。

旧作が残した勝利、罪、希望、呪いを、次世代がどう受け継ぐかである。

その意味では、シークエルはもっと大胆にできたはずだ。

カイロ・レンを主人公にし、レイを対極の存在にし、パルパティーンを復活した老人ではなく、復活しようとする過去の呪いとして扱う。

そして最後は、ベンでもカイロでもない男がスカイウォーカーを名乗り、レイがシスの器ではなく光の霊として残る。

この方が、少なくとも自分にとっては、スター・ウォーズの世界観と精神を守った新しいシークエルになったと思う。

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