第二章 Scene.03 -「匿仮封鎖」(前編)

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▼オリジナル小説

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 旧パース・シティ北部。崩壊した冷却塔の麓は、濃い蒸気に覆われていた。霧は白い壁のように立ち込め、わずかな外灯の明滅を飲み込んでいる。湿り気を帯びた鉄の匂いが喉を焼き、耳の奥では配管の軋みが低く鳴っていた 。

 崩壊した冷却塔の内部からは、時折、蒸気が唸りを上げて噴き出す。その圧力は大地を震わせ、廃墟全体がまだ生きている巨大な獣のように脈動していた。瓦礫に残る焦げ跡や、壁に染みついた黒い煤煙は、かつてここで何かが暴走した痕跡を雄弁に物語っている。

 蒸気の帳は、外界からこの地を切り離すように重く垂れ込めている。風が流れるたびに水滴が配管から滴り、錆の匂いが鼻腔を刺した。遠くでは崩れ落ちた鉄骨が軋み、耳鳴りのような不快な余韻を残す。
 そしてその隙間に混じる、かすかな羽音。小さな黒点が蒸気の中で渦を描き、やがて霧に溶けて消える 。住人たちは誰も気に留めない。だがこの羽音は、戦場の影に忍び寄る眼差しであった。

 三つの影がその霧の中を進む。黒いスーツに身を包んだ統律特命局ベータチーム。
 シャレヴは常に「観察する者」であろうと心掛けていた。味方の呼吸、敵の仕草、崩れかけた壁の傾きすら見逃さない。それは癖であると同時に呪いでもあった。
 ワサンは軽口を叩きながらも、指先は絶えず震えていた。粒子化の失敗は即死に繋がる。その恐怖を笑い声で塗りつぶすことしかできない。
 ハナンは憑依の度に「他者の人生」を覗き見てしまう。その重さを共有するたび、彼は己の人格が少しずつ擦り切れていくのを感じていた。
 彼らの足取りは慎重で、しかし息の合った呼吸が不思議な統一感を生んでいた 。

 影が動くたびに蒸気の壁がたわみ、そこに音もなく飲み込まれていく。三人のシルエットは軍人のそれに似ていながら、動きの柔軟さはまるで獣のようだ。彼らの存在感は消えているのに、確かにここにある──その矛盾が、不気味な静けさを一層濃くした。

「ここから先は視線が増える。静かに、速く、正確に」

 先頭のシャレヴが低く告げた。青い瞳は柔らかな笑みを浮かべているが、その奥は冷ややかに研ぎ澄まされている 。

 彼の肌が淡く揺らぎ、瞬く間に別人の顔立ちへ変わる。体質系ネクス能力――《モーフ》。警備兵の体格を模倣し、装備の細部まで再現していく。ただし、その歩幅や指先の癖までは完璧ではない。ほんのわずかな違和感が、観察眼の鋭い者なら気づける隙となる 。

 模倣の途中、シャレヴはふと自分の胸に残る旧傷の疼きを思い出す。かつて偽装に失敗し、仲間を失った夜。笑みを浮かべていても、その記憶が奥底で鋭い棘のように疼き続けていた。

 後ろでワサンが口元を歪める。

「あら、今日のコーディネートは無骨ね。アタシの趣味じゃない」

 彼の肩口からは、すでに煙の粒子が漏れ出している。変成系ネクス能力――《フューム》。全身を霞に変える準備だ 。

「贅沢は言うな。似合っているよ」

 シャレヴが軽く返す。冗談に聞こえる口調だが、表情はほとんど動かない。

 一方、ハナンは深い褐色の瞳を閉じ、精神を別の肉体へと滑らせた。近くで巡回していた男性作業員に憑依する。思念系ネクス能力――《ホロウ》。幽体だけでは不安定で情報も揺らぐが、他者の肉体を媒体にすれば施設内部を覗き見ることができる 。
 男性作業員に憑依した彼女の声が通信機から微かに響く。

「……制御室へ続く通路を確認。だが、内部に二重コードがある。外層は古いが、内側は……見た事がないコードだ」

「なるほど。博士、どう思う?」
 シャレヴが無線を切り替える 。

【if access_key == true then grant.entry(core_chamber)】
【else deny.request()】

 冷たい女の声が返る。
『なるほどね。このコードは人間が作っているモノと違うようね』

 すぐにシャレヴの質問が飛ぶ。
「博士、問題ないか?」

『AIによるコード生成だが、どれも基本に忠実で特殊性はない。まるでワザとそうしているように見える』

 ミーラは何か確信を持った言葉だが、この場での説明は不必要としてシャレヴには細部までは伝えない 。

『炉心の停止は三段階――コードの再定義、冷却バルブの操作、外部ノイズの遮断。あなたたちの役目は最後。準備が整えば、私がシーケンスを走らせる』

 ミーラの事務的な通信機から聞こえる言葉にワサンは反応する。

「相変わらず機械みたいな喋り方ね。科学者って、どれも似たようなものだわ」

 ワサンが軽口を叩くが、声には緊張が混じっていた 。

 彼の皮肉の裏には、過去に科学者の暴走によって家族を失った記憶がある。研究所に残された焦げ跡を、彼は今も夢に見る。その傷が、こうして軽口に変換されるのだ。

 一方、ハナンは憑依を維持しつつ、端末から流れ込む記憶の残滓に苛まれていた。

「……防御は強固。これ以上深入りすれば、確実に警報が鳴る」

『それでいい。警報が鳴ろうと、シーケンスは走らせる必要がある。時間との勝負よ』

 ミーラの声音は変わらない。冷徹で、揺らぎがない 。

 ハナンの意識に流れ込む断片は、無名の作業員たちの声だった。「帰りたい」「家族が……」──その一つひとつが彼女の精神に重石を積む。

 その瞬間、制御室全体が震えた。低い唸りと共に赤い光が点滅し、耳を裂く警報音が鳴り響く。

『……妨害装置が作動した。停止シーケンスを開始する。急ぎなさい』
 ミーラの声が無線に走る 。

「バレたか」
 ワサンが煙をまとわせる。

「想定通りよ。問題は、どれだけ持ちこたえられるか」
 ハナンが憑依を強め、解析を続ける。


 同じ頃、ギアホールド内部。住民の混乱は拡大していた。
 フェリッサ・フィエロは煙の中で子どもを抱きかかえ、母親の手を引いていた。

 彼女の耳には、泣き叫ぶ声や金属の破砕音が入り混じって届く。けれどその手は一人ひとりを決して離さない。彼女にとって住民は兵ではなく「家族」だった。だからこそ、目の前の子どもが泣き止むまで背中をさすり続け、老人が立ち上がれるまで肩を貸し続ける。
 その姿は、ただの看護役ではなく、この街を支える象徴のように映った。

 小さな子どもの手は、熱に浮かされたように震えていた。フェリッサはその指を強く握り返し、かすかな脈を確かめる。母親は涙をこらえきれずに嗚咽し、フェリッサの肩に顔を伏せた。

「泣かないで。子どもは母親の表情を一番見ている」

 そう囁きながら、彼女自身も胸の奥で痛みに似た熱を感じていた。住民たちの命を抱きしめるたび、背後で迫る戦火の影がいっそう重くのしかかってくる。

「落ち着いて。こっちへ、通路K。医療区画へ繋がってるわ」

 彼女は住民を励ましながら避難を導く。その眼差しは強く、だが母のような優しさを帯びていた。

 その背を、三つの影が横切った。シャレヴ、ワサン、ハナン。互いに相手の正体を知らぬまま、ほんの一瞬、視線が交錯する。
 シャレヴは足を止めかけたが、すぐに視線を逸らす。だが、住民を抱きかかえる彼女の仕草が記憶の奥底に焼き付いた。

(……敵にすら、優しさを持つ者がいる)

 この違和感が、後に[世界政府]への不信を芽生えさせるきっかけとなる。


 一方その頃、アイアンキングは主砲〈レールガン〉の再起動を急がせていた。

「まだか! アルファをこの街に近寄らせるな!」

 だが技師たちが答える。

「主砲コイルの冷却が間に合いません。振動でアライメントが──」

「黙れ。言い訳は聞き飽きた!」
 苛立ちを隠さず、鉄の拳で壁を叩く。

 叩きつけられた拳の震動は壁を割り、背後の兵士たちを怯えさせる。アイアンキングの眼差しには、王としての責任と同時に「父」としての影が見え隠れしていた。戦火に呑まれる住民を気に掛けながらも、彼の意識の大半はアルファへの憎悪に縛られている。王として守るべきものと、戦士として倒すべき相手。その狭間で、彼の苛立ちは募るばかりだった。

 義肢の奥に残る神経は今も疼き、叩いた衝撃が脳髄まで突き抜ける。だが、その痛みすら彼を冷静にさせはしなかった。
 脳裏に焼き付いているのは、かつてアルファに敗北した仲間たちの姿。彼らの無残な死骸を思い出すたびに、彼は「次こそは仕留める」という執念に駆られるのだった。

 その様子を、グリズロスとクリスタリクスが見つめていた。

「焦るな、王。獲物は逃げない」

「主砲を急ぐより、足もとを固めるべきだ」

 だが、アイアンキングは二人の進言を聞き入れない。視線はただ、遠くの敵影──アルファを仕留める幻影に囚われていた。

 そこへヴェスパーの通信。 《侵入者を確認。位置を特定済み》

 聞いていたグリズロスとクリスタリクスは何も言わず、お互いに視線を合わせて頷く。

「制御室か」

「そのようだな」

 クリスタリクスの短い確認にグリズロスは返すと、二人は無言で歩み出した。

 その様子をアイアンキングは見届けるが、ほとんどの意識は主砲の先にあるアルファに集中していた。


 制御室。赤い光が呼吸のように点滅し、三人の影を染めていた。

『……次の段階へ移行する。持ちこたえなさい』
 無線越しにミーラの冷徹な声が響く 。

 迫り来る重い足音。結晶の共鳴。
 グリズロスとクリスタリクスが、ベータのいる制御室を確実に捕捉していた。

 赤い点滅は次第に速さを増し、まるで心臓の鼓動が高鳴るように室内を染め上げていた。シャレヴは呼吸を浅く整え、ワサンは霞を纏いながら背筋を張る。ハナンは借り物の視界を通じて、扉の向こうに立つ巨影をはっきりと感じ取った。
 三人の心臓の鼓動と、警報のリズムと、外で響く足音とが重なり合い、制御室はひとつの巨大な鼓動となって震えていた。

 ――炉心封鎖の戦いが、幕を開けようとしていた。

 その赤い点滅は、まるで誰かが遠くから観測し、記録しているかのように規則正しく瞬いていた。

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