終章 Scene.02 -「王牙継承」

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▼オリジナル小説

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 荒野の夜空を裂くように、炎の柱が立ちのぼった。
 燃え盛る火は黒煙を吐き、かつて王と呼ばれた男の肉体を灰へと変えていく。
 戦場を統べた王、獣の頂点に立った男――ワイルドシング、タネ・トア。  その死を見送るため、アッシュポイントの住民も戦士も、一人残らず集められていた。

 炎は轟音を立て、焦げた肉の臭気と薬物の甘い匂いが混じり、夜風に乗って辺りを覆う。
 砂塵の中には、小さな羽音が絶えず混じっていた。荒野に棲む虫か、それとも不気味な観測者か、誰も気に留めることはない。
 だが、その羽音はまるで、王の最期を記録するかのように火の粉の周囲を漂っていた。

 太鼓が鳴る。獣皮を打ち鳴らす重低音は、大地そのものを震わせる。
 戦士たちは胸を叩き、嗄れた声で咆哮をあげる。

「グルゥオオォォン!」
「ワイルドシング! 我らの王よ!」

 住民は子どもから老人まで、声をあげて泣き叫ぶ。

「王を返せ!」
「どうして……」

 嗚咽と怒号は荒野を埋め尽くし、誇りと悲哀の響きが空へ突き抜けた。

 やがて炎は鎮まり、残されたのは灰と骨の欠片のみ。
 それも荒風にさらわれ、闇の中へ溶けていった。
 王の肉体は消えた。
 同時に、アッシュポイントを束ねていた権威と秩序も消えたのだ。

 最初は静寂だった。しかし、次第に怒号が飛び交い始める。

「王がいないなら、誰が群れを導く!」
「いや、俺がやる! 王の血を引く必要などない!」
「ふざけるな、俺たちの力で荒野を守るんだ!」

 戦士同士が肩を突き、拳を振るい、牙を剥いた。
 市場は暴徒に荒らされ、食料を奪い合う者、女や子どもを押しのける者が現れる。
 葬送の熱狂は、たちまち無秩序と混沌へと変貌した。

 酒瓶を振りかざす戦士が咆哮する。

「ワイルドシングの威光は終わった! これからは俺の時代だ!」

 別の古参戦士が、額に刻まれた傷を誇示しながら叫び返す。

「血を引かぬ者に王の資格はない! この首に刻まれた誓いを見よ!」

  互いの拳がぶつかり、牙が肉を裂き、砂地には血が散った。
 荒野に漂う羽音が、血の臭気に誘われて不気味に強まる。

 その中に、一人の若者がいた。名をトゥパという。
 痩せぎすで、戦士には程遠い姿。母の面影を濃く残した顔立ちは柔らかく、むしろ弱さを際立たせていた。
 父――ワイルドシングは、彼を戦いに巻き込みたくなかった。
 だからこそ、彼はずっと群れの影に隠れるように生きてきた。

 幼少期、彼は父の背に隠れ、母の記憶すら知らぬまま成長した。
 戦士の子として生まれながら、剣を握ることすら許されず、荒野の誇りを語る資格さえないと囁かれてきた。
 “弱き王子”――それが、彼につきまとう呼び名だった。

 混乱する戦士たちの中央に、トゥパは立った。

「……争うな!」  

 声は掻き消された。誰も耳を貸さない。

「父上はそんなことを望んでいない!」

 それでも叫び続ける。しかし、笑い声が返ってきた。

「なにを言う、貧弱なガキが!」
「ワイルドシングの息子? 笑わせるな!」

 戦士たちは牙を剥き出し、若者を侮辱する。
 それでもトゥパは耐えた。必死に歯を食いしばり、涙を堪えた。

 だが、次の言葉が彼の中で何かを切った。

「母親に似たその顔! 戦士どころか、弱虫の象徴だ!」
「女の腹から生まれた軟弱者が、王の名を汚している!」

 その瞬間、トゥパの瞳が炎のように揺らめいた。
 血が逆流する。胸が焼けつく。
 怒りと悲しみが一つになり、体の奥底から何かが噴き出した。

 彼は歩み寄り、その侮辱を吐いた戦士を掴み上げた。
 腕は膨張し、筋肉が隆起し、骨格が獣のように歪んでいく。
 恐怖に顔を引きつらせる相手を地面に叩きつけ、低く唸った。

「……もう一度、言ってみろ」

 その声は咆哮に近かった。荒野を震わせ、群衆を黙らせた。
 掴まれていた戦士は声を失い、ただ首を振った。
 トゥパは力を緩め、その男を突き放す。

 戦士も住民も息を呑んでいた。
 その眼前に立つ姿は、かつてのワイルドシングを彷彿とさせる。
 華奢だった少年は、今や筋骨隆々な野生に満ちた巨躯へと変貌していた。

 次の瞬間、複数の戦士が雄叫びをあげて飛びかかった。

「こんな小僧に屈するか!」
「牙を持たぬ王など認めぬ!」

 トゥパは咆哮とともに突進した。
 拳が一閃すると、最初の戦士は壁に叩きつけられ、石片とともに崩れ落ちる。
 二人目が刃を振り下ろすが、トゥパは素手で受け止め、鋼の刃を粉砕する。
 そのまま肩で突き飛ばし、戦士の体は十歩以上も飛んで砂に沈んだ。

 群衆のどよめきが広がる。

「信じられん……」
「あれが……ワイルドシングの息子……?」

 三人目、四人目も同時に襲う。
 だがトゥパの咆哮は衝撃波のように周囲を吹き飛ばした。
 砂塵が爆ぜ、虫の群れが黒煙のように散り飛んでいく。
 戦士たちは耳を塞ぎ、膝を折った。

「俺は……もう弱き王子じゃない!」

 声は震えていたが、その力は本物だった。
 圧倒された戦士たちは立ち上がれず、古参の一人が恐怖に震えながら呟いた。

「……ワイルドシングの再来だ……」

 だが、そこでトゥパは拳を下ろした。
 荒い息をつきながら、敗者たちに視線を向ける。

「違う……俺は父のように、力で支配するつもりはない!」

 ざわめきが広がる。

「何を……?」
「ならばお前は王ではない!」

 そのとき、一人の古参戦士が立ち上がった。
 薬に蝕まれ異形化しかけた姿で、牙を剥き出しにして吠える。

「誇りを捨てた者に、王は務まらぬ!」

 彼は突進し、獣の腕を振り下ろした。

 激突は凄絶だった。
 拳と拳がぶつかり合い、大地が震える。だがトゥパは倒さず、組み伏せて力を奪った。

「誇りは死に方じゃない! 生きて帰り、仲間を守ることだ!」

 古参戦士は血を吐き、涙とも笑みともつかぬ表情で呟いた。

「……ならば……お前が……継げ……」

 そして崩れ落ちた。

 その直後、別の戦士たちが次々と倒れ始めた。
 荒い呼吸、震える手。薬に蝕まれた身体が限界を迎えていた。
 呻き声とともに血を吐き、爪が剥がれ落ちる戦士がいた。皮膚に斑紋が浮かび、呼吸は荒れ、骨の軋む音が聞こえる。それでも彼らは震える手を伸ばし、『薬を……もう一度……』と呟く。
 力を得るはずの薬は、彼らの命を確実に削っていたのだ。

「もう……立てねえ……」
「薬が……ないと……」  

 呻く声が広がり、戦力の崩壊が露わになる。

 トゥパは叫んだ。
「父の力は誇りだ! だが薬に縛られた力は命を削るだけだ!」

 彼は深く息を吸い込み、群衆を見渡した。
「母はD.A.R.K.の研究員として、この地に毒をばらまいた一人だった。だが……最後にはそれを悔い、父と共に生きることを選んだ。俺に残したのは、薬の配合式でも武器でもなく――真実だった。彼女は死に際に言った。『強さを求めるな、真実を見ろ。そして心で選べ』と」

 その言葉に、戦士たちの間にざわめきが走る。

「だが、母は真実を知り、父と共に生きることを選んだ。そして俺に、資料を残して死んだんだ」

 トゥパは衣の奥から古びた記録媒体を掲げる。

「これに記されている。俺たちを強くするはずだった薬――それは[D.A.R.K.]という世界政府の組織が作った毒だった」

 思わぬトゥパの言葉に戦士や住民たちは言葉を失った。

「奴らはこの地を実験場にし、戦士たちを駒として利用した!」

 その暴露に、戦士たちの顔が憤怒で染まる。

「俺たちは……政府を憎んでいたのに……」
「結局、飼われていただけだったのか!」

 住民の間からもすすり泣きが漏れる。
「子どもにまで与えてきたものが……毒だったなんて……」

 そのとき、群衆の端にいた薬売りが慌てて背を向けた。
 トゥパが指差し、怒声を放つ。

「そいつらだ! 奴らこそ、D.A.R.K.の手先だ!」

 見破られた薬売りの男は、顔色を変えて懐から銃を抜いた。その瞳は人間を見るものではなかった。
 失敗した実験体を廃棄するかのように冷徹に引き金を引いた。乾いた銃声が響き、数名の住民と戦士が血を吐いて崩れ落ちる。

『撃て! 証人を消せ!』  

 隠れていた者たちも次々と銃を乱射し、恐怖と混乱が走った。
 だが次の瞬間、怒りに燃えた戦士たちが突進した。

「ふざけるな! 俺たちは実験動物じゃない!」
「薬なんかなくても……守れる!」

 雄叫びとともに彼らは武器を奪い、研究員を叩き伏せた。
 銃声が止み、血にまみれた工作員たちは、戦士たちの拳と牙によって処刑された。

 その光景を、トゥパは険しい表情で見つめた。
 薬の呪縛から抜け出すには時間がかかる。
 だが彼は確信していた――。

「父は力でこの地を守った。母は真実を託して逝った。俺はその両方を継ぐ。アッシュポイントが変わるには時間がかかるだろう。だが俺は、この呪縛を断ち切り……未来を信じて突き進む!」

 トゥパの強い覚悟と決心はかつてのワイルドシングが見せた圧倒的な力とはまったく違った力であった。
 だが確かに、転換点は刻まれた。ワイルドシングは力で支配したが、トゥパは心で導こうとしている。

「俺はトゥパ・トア! ワイルドシングの息子だ!」

 力強い言葉は戦士たちを立ち止まらせ、住民たちの注目を一身に集めていく。

「父は力で荒野をまとめ上げた。恐怖によって群れを統べ、それが誇りだった。だが俺は違う! 俺の力は、共に生きるためにある。弱き者を守り、誰もが必ず帰るためにある。恐怖ではなく、共存のための炎――それこそが、俺の牙だ!」

 戦士たちは戸惑いながらも膝を折り、住民は涙を流して頭を垂れた。
 その中には「甘い」と吐き捨てる声もあった。だが、多くの者の胸に新しい火が宿った。

 その熱狂の中、群衆の外れにひとつの影が佇んでいた。
 粗末な外套を纏い、杖を支えに立つその姿は──かつてワイルドシングが「預言者」と呼んで敬った人物と同じだった。

 トゥパは一瞬だけ、父の霊が戻ったのかと思った。だが銀の瞳がわずかに光った時、胸の奥で別の感覚がよぎった。
 それは父のためではなく、自分を見ている眼差し。

 その影は短く息を吐き、炎に照らされた群衆を振り返ると、砂塵に紛れて姿を消した。
 オラトリオ──観測者は、荒野の新たな物語の始まりを確認すると、何も告げず立ち去ったのだ。

 灰となった父の遺体は風に舞い、羽音が静かに遠ざかる。
 その夜、アッシュポイントに初めて“恐怖ではない炎”が灯った。それは小さく揺らめく火種にすぎなかったが、確かに未来へ続く光だった。

 その光景は、観測の帳に刻まれた一つの転換点であった。


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