作品データ
公開年月 | 2019/10/04 |
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ジャンル | パニック/アクション |
原作 | S・ハリーシュ 『マオイスト』 |
監督 | リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリ |
脚本 | S・ハリーシュ、R・ジャヤクマール |
製作 | O・トーマス・パニッカル、スニール・シン、ほか |
製作国 | インド |
鑑賞方法 | レンタルDVD |
あらすじ
南インドのケーララ州の小さな村、冴えない男アントニが働く肉屋から一頭の水牛が逃げ出す。
人々が懸命に水牛を追いかけていくが、恐怖と怒りに駆られて凶暴化した暴れ牛を止める事が誰にもできずに見守るしかなかった。
騒ぎを聞きつけ次々と住民が集まってくる中、次第に絡まり合う人間関係が混乱と混沌に拍車をかけてしまうのだった。
登場人物&出演者

代表作に『Angamaly Diaries』、『マスター 先生が来る!』などがあります。
ヴァルキの肉屋で働いている。ヴァルキとゾフィたちと同じ敷地内に住んでいる。ゾフィに片思いしている。
水牛を潰して解体すると、ヴァルキとともに黙々と肉を切り分けて注文の配達もしていた。
ゾフィの気を引こうと魚釣りをするが、そのせいで水牛が逃げ出して村を混乱に陥れる。
実は過去にゾフィといい感じだったクッタッチャンに嫉妬して、彼の大麻栽培を密告した。
最後はクッタッチャンを病院送りにして、水牛を追い詰めるが、群衆に潰されて悲鳴を上げた。

代表作に『Angamaly Diaries』、『Bheemante Vazhi』などがあります。
肉屋を営んでいる。妹とアントニと同居している。村では唯一の肉屋として繁盛している。
アントニが油断したせいで水牛が逃げ出すと、なんとか捕まえようとロープを持ち出す。
村で暴れる水牛を止めようとするも失敗してしまい、住民に文句を言われても逆ギレをした。
大勢で水牛を追い立てるも結局は捕まえる事ができず、クッタッチャンを呼ぶ事にした。
最後はクッタッチャンが村に戻ってくると、申し訳ない表情で出迎えるも無視されてしまう。

代表作に『Paapam Cheyyathavar Kalleriyatte』、『Aaha』などがあります。
ヴァルキの妹。両親がいない事から家事の一切を取り仕切る。以前はクッタッチャンに片思いを寄せていた。
アントニから好意を持たれている事を知っているが、未だにクッタッチャンの事を忘れない。
水牛がアントニの油断で逃げ出すと、家でずっと待機して兄たちを心配していた。
過去にクッタッチャンを部屋に誘ったが、嫉妬したアントニの密告で彼が村を追われている。
最後は水牛を捕まえようとロープを持ち出すアントニにキスされ、満更じゃない態度で待った。

代表作に『Churuli』、『Wolf』などがあります。
ゴムの木の農園を持っている有力者。娘が結婚式を控えていて、参加者には豪華な食事を用意させようとする。
結婚式に出す食事について注文していると、ヴァルキの水牛が逃げ出した事を知って焦る。
日が落ちても水牛を捕まえられず、結婚式にカレーやローストが出せないと落ち着かなかった。
妻に配達の肉でもいいと言われるも納得がいかず、逃げ出した鶏を捕まえようとしていた。
最後は鶏の持ち主に捕まってボコボコにされ、家出しようとして失敗した娘と鉢合わせになる。

代表作に『Janamaithri』、『Ajagajantharam』などがあります。
以前にヴァルキの肉屋で働いていた。現在は村を追われる形でアントニに対して恨みを持っている。
水牛が逃げ出した事から腕を買われて呼び戻されると、住民たちが熱烈に歓迎されていた。
何かと対抗意識のあるアントニを警戒していて、ライフル銃を片手に水牛を狙っていた。
過去に隠れて大麻を栽培して売っていたが、嫉妬したアントニに密告されて村を追放された。
最後は水牛じゃなくアントニを殺害しようとしたが、反撃を食らって重傷で病院に運ばれた。
感想
[個人的な評価]
本作は脚本を務めているS・ハリーシュの短編小説を原作として実写映画化されています。
この作品は『第50回インド国際映画祭』、『第93回アカデミー賞』で国際長編映画賞でインド代表作に選出されています。
世界的に有名なインド映画は北インドの作品が多いが、本作は南インドが舞台だから大きく違っています。
インド映画ではほとんどがヒンドゥー教が中心となっているが、本作はキリスト教となっているから違和感を持ちます。
多くのインド映画を鑑賞しているからこそ、本作におけるインド人のイメージを少し違っていました。
インド人は牛肉を食べないイメージだが、これは北インドで大多数を占めるヒンドゥー教だから禁じられている。
しかし、本作ではキリスト教が中心になっているから、牛肉だけじゃなく、お酒も普通に飲んでいるから非常に新鮮な印象を持ちました。
物語については、パニック映画というジャンルを分かりやすく表現していて、ずっと住民たちが逃げ出した水牛によって興奮状態になっています。
パニック映画は群集心理が働く傾向が強いけど、本作については物語のほとんどは住民たちの行動を中心しています。
物語の中心人物というのが明確に設置しておらず、主要人物たちのエピソードはあくまで付け合せ程度になっていました。
とにかく、どこから出てきたのか分からないぐらい人間の大群が出てきて、一頭の水牛を仕留める為の熱気は尋常じゃなかったです。
キリスト教が中心というだけに聖書の文言も引用していて、他のインド映画とはまったく違う独特な雰囲気がありました。
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